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灰谷清はフリーター生活ウン年目を迎えた二十代の女性である。大学はきちんと四年で卒業したものの、何処かへ就職することもなくフリーターへと身を投じた。自分の興味を引く職がなかったのだと知人には話している。しかし、実際はそんな格好の良いものではない。ただ単純に人付き合いが面倒だったのである。上司に媚びへつらったり部下の面倒をみたり、そういったことが大嫌いであった。さらに言えば、新しい人間関係を設立するのが面倒であった。長年アルバイトを続けてきたこの本屋であれば、すでに人間関係が構築されて自分がどんな人間かも大体理解されている。迷惑な上司も部下もいない。清にとって最高の職場となったここ以外に勤務する場所などありはしなかった。正社員にならないのは辞めるときの手間を嫌ったためだ。

そういうわけでフリーターを続けている清は、この社会では俗に言う「オタク」の部類に配属されている。彼女の二次元に対する異常な執着は、もはや「廃人」と呼べるレベルであった。広いマンションの一室を二次元で染め上げるほどである。このエンターテインメントのために中学時代から密かにアルバイトを続け、高校・大学時代は学業そっちのけでアルバイトに専念していた。ゆえに彼女の貯蓄は、その齢の女性が持つとは思えないほどの額となった。学業を疎かにしたおかげで、現在もフリーター生活が続けられるわけである。



そんな清が最近のめりこんでいるアニメは、「魔法少女みいる」である。「魔法」と書いて「まじっく」と読む。間違っても片仮名に変換してはならない。それはこの作品に対する冒涜である。

みいるはわずか十歳の幼女、失礼、女児である。本名は「愛里みるこ」と言って、突如現れた妖精「ルシ」により魔女の力に目覚めてしまったのだ。心優しい少女は「魔法少女みいる」として困っている人を助けてゆく、そのひたむきな姿をつづったアニメである。なんてかわいい幼女であろうか。なんとすばらしい幼女であろうか。みいるは幼女の鑑である。

放送日は昨夜だったので、今日は録画しておいたみいるを見るつもりだ。今日のみいるはどんな人を助けるのかな。どんなかわいい顔をするかな。お決まり台詞の「魔法少女みいるのまじっくは、タネもしかけもないのです!」はどのタイミングで出てくるかな。やっぱり人助けをした後に「どうやって助けたのですか?」と訊かれたときに言うんだろうな。清は思わず頬が緩みそうになり、慌てて頬の裏の肉を噛んで堪えた。





誰もいない自宅であるマンションの一室に向かって「ただいま」と告げる。さあて、手を洗って晩御飯の準備をして―――《まじっくまじっくまじっく タネもしかけもないのです》―――、ちょっと待て。どうしてみいるのオープニングソングが聴こえてくるのか。私は確かにひとり暮らしで、私以外にDVDを再生できる人間なんていないはずだ。まさか、誰かいるのか。

さっと顔から血の気が引いたのが明確に分かった。あの部屋の秩序を、崩されてはならない。まず第一にその言葉が思い浮かんだ。もしこの家が火事になったら、私はあの部屋すなわち書斎で彼女らといっしょに燃やされる所存なのである。それほどの熱意もとい執着心がある。

私はもうどうにでもなれと意を決して己の書斎のドアノブを掴み、そして回した―――…。


「あ、灰谷さん、おかえりなさい。どうもお邪魔しております」






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