紺藍の夕暮れ


突然投げ出されたのは、どこぞの山奥。かと思っていたが、どうやらこの山は京都にある山らしい。

その確証を得たのも、目の前の左腕に怪我を負った男性の口ぶりとそれから、

「し、志摩さん、ですか」

苗字のおかげであった。

男性の名は志摩柔造というらしい。そして祓魔師でもあるらしい。彼は趣味である登山の最中、突然悪魔に襲われ左腕を負傷してしまったところ、偶然にも私が現れたんだとか。そしてフル装備(ダガーナイフのみだが)だった私はその悪魔を倒し、今は彼の応急処置をしている。

「もしかして誰か知り合いでもおる?って、よう見たらそれ、正十字の制服やな」
「はい。あの、志摩廉造くんの同級生で……」
「なら弟の友達は俺の友達やな!俺のことは柔造でええよ。よろしくな、えっと、」

きゅ、と止血のためのハンカチをきつく結んだ。

「一条、一条雛です」
「よし、雛ちゃん!」

柔造さんの笑顔は、同級生の彼とよく似ていた。







応急処置を済ませ、私も帰るために山のふもとまで下りなければならなかったので、同伴することとなった。柔造さんは明るいひとで、道中の話題には一切困らなかった。

そして、柔造さんの自宅(?)と思わしき建物の前まで共に会話を交わし、ここで別れるかと思ったが、

「なら、ちょっと待っとってな。すぐ戻って来るから先に帰ったりせんといてよ」
「は、はい」

何故か、待機するよう頼まれた。

私の返事を聞くやいなや柔造さんは瞬く間にその屋敷の奥へと引っ込んでしまった。引き戸の前にひとり残され、所在なさを感じる。

何故待機させられているのか分からないが、この調子では夕暮れ時までに帰宅することは出来そうだ。メフィストさんめ、私が泣きつくとでも思っていたらおもしろいのに。したり顔でドアを開けてやろう。
少し訓練を怠けたくらいであの魔法の鍵で京都の山奥まで飛ばし、さらには狙ったかのように悪魔のところへ落とすなんて、極悪非道だ。悪魔だ。そういえば彼は悪魔だった。

「お待たせ。すまんな」

がらがらと引き戸を開ける音がしてそちらを見れば、柔造さんの腕には包帯が巻かれていた。どうやら手当てを受けていたらしい。だが、それにしては早いような。

「柔造さん、余計なお世話かもしれませんが、きちんと手当てを受けましたか」
「応急措置程度やけど、こんくらいの傷やったら心配はいらん」
「ど、どうしてそんなに急いで手当てを?」

他意のない疑問に、柔造さんは白い歯を見せて笑う。



「雛ちゃんに、お礼しよと思ってな」



ほんとうにこの兄弟はよく分からない。
きっと断っても強引に誘うだろうと志摩廉造で思い知らされていたので、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。

苦笑いを承認と受け取ったのか、柔造さんは早速何処かへと歩みを進め始める。私も遅れないようにとその後ろを追いかけた。

「門限とかってあるんやろ」
「え、ええ、たぶん、まあ……」
「煮え切らん解答やな。ま、おんなのこを夜おそうなるまで歩かせるつもりもないし、―――なんかほしいもんある?」

そんな唐突に言われても。最早隠す気のないくらい顔にその台詞が浮かんでいたことだろう。しかし、柔造さんのやわらかい笑みに、断ろうにも断れない。
どうしてこう志摩家は自然と人を引き込めるんだろう。この垂れ目のせいか。顔がかっこいいせいか。


私があまりに悩んでいるように見えたのか、柔造さんは突然慌て始めた。

「あ、無理に考えんでもええよ!急すぎたな」

そして、堪忍堪忍と繰り返しながら私の頭をぐりぐりと撫でる。その行動に、思いがけず驚いた。



ひとに頭を撫でられたことなんて、久しぶりだったから。



私が驚いていることにも頓着せず、柔造さんはまたやさしく笑んで私の腕を引く。

「なら、アクセサリーとかならええんやないかな。そんな高うないし、気負わんで使てくれるやろ」

ふと自分がひとりっこだということを思い出した。―――おにいちゃんがいたら、こんな感じなのだろうか。

「と、とてもうれしいんですが、あの、いいんですか、ほんとうに……」
「いいに決まっとるやろ、俺が雛ちゃんにお礼したいんやから」
「うっ、……」

ああ、私はこの笑みに弱い。ぐうの音も出なくなる。

諦めて店内を見渡すことにした。
連れて来てもらった小物屋さんは京都のイメージにぴったりな和風の小物がずらりと並べられていて、到底選びきれそうにない。土産屋としても機能しているらしく学生にもありがたいお値段だ。どれも可愛くて目移りしてしまう。

「あ、雛ちゃん、これとかどうやろ」
「ブレスレット、ですか?」
「似合うと思うんやけど」

柔造さんが手に取ったのは、深い藍色の飾りがついたシンプルなブレスレットだった。この飾りは確か、とんぼ玉というものだ。藍色のとんぼ玉は、中に小さいけれどもはっきりとその色を主張している黄色の花を閉じ込めていた。


きらりと、店内の明かりに反射して、光る。


「きれい、ですね」
「お、気に入ったん?」
「はい!」
「じゃあ決まりやな。おばちゃーん、これプレゼント用にしたって!」

そのブレスレットを持ってレジへと向かった柔造さんについて行くと、レジを打つ店員さんと目が合った。にやりとからかうように口を歪めたので、なんとなく嫌な予感はした。

「アベックは見とってキュンキュンするわあ」

ほら見ろ、そう来ると思ったんだ。こんな勘違いをされては柔造さんに迷惑だと早速訂正しようとしたが、私よりも先に柔造さんが「アベックは死語やでおばちゃん!」と違う訂正を入れていた。



「それに、雛は俺の妹や」



自分の口から「えっ」という声が出てしまい、即座に聞かれていないか確認する。どうやら聞かれていないようだ。店員さんは私のほうへはちっとも視線を寄こしていなかった。

「あー、妹!お兄ちゃんえらいわあ、妹にプレゼント?」

てきとうに相槌を打つ柔造さん。


一方で私は、妹、と言われたことになんとも言い難い嬉しさを感じていた。兄のいない者ならではの羨望だろうか。

店の外に出て柔造さんからきれいに包装されたブレスレットを受け取るまで、私は浮かれた気分を抜け出せないでいた。

「はい、雛ちゃん」

中が見えるような透明なビニール袋で包まれたブレスレットは、夕日に反射するとより一層輝きを増したように見える。それを大事に手に抱え、不思議そうな表情をしている柔造さんを見上げた。

「ありがとうございました。さっきのことも……」

今度は、こちらから微笑んでみせる。



「妹と訂正されたとき、兄ができたみたいで嬉しかったです」



「……、」

柔造さんはぽかんとしたまま黙っていたが、しばらくすると楽しそうに笑い始めた。
今度はこちらがぽかんとする番だった。

「こっちこそありがとうな、わがままに付き合うてくれて」

ひとしきり笑った後、まるで癖かのように再び頭を撫でられた。その手は大きくてあたたかくて、―――落ち着く。


髪が乱れたと口を尖らせてみれば、さらにぐしゃぐしゃにしてくる。気が済んだのかまた「堪忍」と繰り返して髪の毛を整えてくれた。



そんなどうしようもないやりとりも楽しくて、嬉しくて、日がどんどん傾いていくのも全く気にならなかった。



はた、と周りの景色を見渡すと、京都駅が目の前に立っていた。雑談をしているうちに京都駅まで送ってくれたのか。ここまで気遣いの出来るひとは、なかなか希少価値が高いな。なんて、冗談交じりに考えてみる。

もちろん京都へは新幹線を使って来ていないけれど。

「今日一日ありがとうございました。腕の怪我、早く治るといいですね」
「雛ちゃんの応急処置が良かったから、たぶんあっちゅー間に治るで。今度京都に来たときはゆっくり観光でもしような」
「そのときは案内してください、楽しみにしています」
「任しとき!とっときの場所教えるわ。あ、坊たちにもよろしく伝えといてくれるか」
「もちろんです。良いお土産話が出来ました」
「そら、良かったわ」

後は多くのことを語らなかった。決まり文句のような別れを告げて、京都駅の改札へとつながるエスカレーターへと足を載せる。

ふと、少しもったいない気もしたが、ていねいにテープをはがして中身を取り出し、その藍色のブレスレットを左手首につけて振り返った。

やはり、柔造さんはじっとこちらを見送ってくれている。






私は彼にしっかりと見えるように、左手を大きく振った。



紺藍の夕暮れ



「柔兄、どこ行っとったん?急に包帯だけ巻いて外出てしもうて」
「んー、妹を駅まで送っとったんや」
「妹ぉ?」
「そや」
「……、母ちゃーん!頼むからこれ以上兄弟増やさんといてや!」
「誰がこの齢で赤ん坊つくるんか!こちらとて早よ孫の顔見たいくらいや」





壱万打企画に参加してくださったゆきさまへ送る。
リクエストありがとうございました。
遅くなって申し訳ありません。もしよろしければ、受け取ってください!
リクエスト:柔造と絡む

 

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