ラブロマンスは2日後に


開口一番、「雛さん、貴女またアマイモンと喧嘩をしましたね」という質問にさえなり得ていない断定的糾弾。


いつもどおり定時連絡というか、子どもが親に語るような学校のあれそれだとか、塾のどれこれだとかを、私はメフィストさんで代用していた。代用させてもらっていた。だから、それを世間話に織り交ぜながら雑談しようと思っていたのだ。その矢先、叱責である。


私に「何のことだかさっぱりです」というだけの度胸はなかったが、愚かさはあった。ゆえに、私はメフィストさんの激怒の表情という現実に目を逸らしつつそう言った。


昨晩、メフィストさんは東欧の何某という有名な方に会うために時差も考慮して夜中のうちに旅立った。旅立ったと言っても、まあ予想の通りだ。そのため、久方ぶりにこの邸宅は家主を持たぬ夜を過ごすこととなった。その話をアマイモンと共に聞き、共ににやりと笑ったことから、件の喧嘩は始まる。さすがに屋敷の一部屋を爆破させるみたいな規模の戦争はしていないけれど、屋敷の一部屋をめちゃくちゃに散らかす規模の小競り合いはした。もちろん、きちんと片付けましたとも。執事さんたちの手を借りながら片付けている最中にひとり突っ立って嘲笑を浴びせてきたアマイモンと第二ラウンド。片付け。冷笑。第三ラウンド。とまあ、第五ラウンドまで続けたためになかなか悪目立ちをしてしまった。


それを怒っている。いつまで経っても子どもじみている私に、メフィストさんは呆れている。しかし仕方あるまい。私は子どもなのだから。まだ、子どもでいたいのだから。


「雛さん、喧嘩を、しましたね?」
「……、」


ふい、と視線をそらしてしまった。うっかり、意地のついでに、何気なく。間違えた、と気づいたのはすぐだった。メフィストさんが腰を上げてカツカツと音高らかにこちらへ向かってきた。


「いや、違うんです、だって、」


言い訳の前に、バンッ、と勢いよく自分の顔すれすれのところに手を付かれた。お、追い込まれた。顔が近い。それに背があるから圧迫感も増す。私は恐る恐るメフィストさんの顔を見上げた。ひっ、無表情だ、こわい。


「雛さん、アマイモンと朝方まで一晩中喧嘩をしていましたね?」
「は、はい」


ここで嘘を吐ける人間なんて悪鬼羅刹くらいだ。それはもう人間ではない。この状況で人間は嘘を吐くことはできず、嘘が吐ける人間は人間ではない。つまり、私一条雛は人間で、そして子どもだった。


「どうして嘘を吐いたんですか?」
「嘘は吐いていません、とぼけた、だけです」


今度は太ももの間に膝を付かれた。


お、追いつめ方がいつもと違う!いつもは面白おかしく私が恥をかくように追いつめてくるのに!今日はじわじわと嬲るように焦らすように追いつめてくる。もはや退路は絶たれている。もがくように手を掻くけれど、掻くのは壁紙だけだった。それもつるりと滑って意味を成さない。


メフィストさんは眉ひとつ動かさないまま、私の顔へと手を伸ばす。大げさに跳ねた肩に、「ひっ」と絶命する直前の小鳥のような声が漏れた。


嗜めるように声音は優しく、しかし冷たく、「いいですか、雛さん」と告げられ、そして、


「別に喧嘩をするな、とは言っていません。喧嘩は子どもの仕事ですから。しかし、こんな隈をつくってしまうような、」


目元をなぞられ、


「こんな傷をつくってしまうような、」


頬の引っかき傷を撫でられ、


「女性として傷の残るような喧嘩は止しなさいと言っているんです。わかりますね?」


その手でわずかに顎を持ち上げられた。


不覚、外見年齢中年の男に、ときめいてしまった女子高生。


な、な、なな、なんて、ことを。そんなことをされたら、夢見る乙女は否応なしにどきどきしてしまうだろう。女はみな乙女で、夢見がちで、ロマンチストで、理想主義なのだ。そんな、少女漫画みたいな……、




うん?




少女漫画、みたいな?





「メフィストさん、」
「なんでしょう」
「あのデスクに連なっている白とピンクの表紙の漫画、あれって、何ですか」
「巨匠、湯都志知美先生の『トキメキ乙女のフワトロTKG☆』です。恋する女子高生が憧れの先輩のために究極の卵かけごはんを追い求め、魔法の国へと旅立つファンタジーラブコメにして、次々と起こる連続殺人事件と連続宝石強盗にまさかの先輩の婚約者と三角関係になってしまうサスペンスと、やりたい放題のハードボイルドな少女漫画ですが……それが何か?」


それを少女漫画と呼んでいいのか謎ではあるが、そんなことはどうでもいい。私はメフィストさんの手を逃れ、その少女漫画の塔からてきとうな一冊をめくってみた。


『タマコのTKG……、俺にも食べさせてくれるよな?』


という全くもって意味不明な台詞のわきで、ヒーローらしきそのイケメンが壁に手をつき少女の足の間に膝をつき顎をわずかに持ち上げていた。疑いようもなく、先ほどのメフィストさんと同様の所業が行われていた。


「メフィストさん……?」
「一度やってみたかったんですよねえ、壁ドン、股ドン、顎クイ!男のロマンじゃないですか」


先ほどの怒りなどは数ミリ単位で消え失せ、嬉々として少女漫画のページをめくるメフィストさん。


結局、私は弄ばれただけなのである。空前の少女漫画ブームが訪れたメフィストさんによって、少女漫画の醍醐味を実践されただけなのだ。そんなどうしようもない遊びに、私は怯えた挙句にときめきさえ覚えてしまったというのか。何たる醜態、何たる失態、何たる痴態……。



「最低です……ほんとに怖かったのに……」
「おや、怖かっただけですか?」


えっ、と振り返ろうとしたが、メフィストさんの気配を背後に感じて硬直する。


こ、今度は、何をする、


「顔を真っ赤にしてドキドキしていたでしょう?初心でかわいらしいですねえ」


背筋が粟立つ。ぞわぞわっと。適切な低音で、適切な呼吸で、耳元で囁かれた。


「ちなみに、今のが『耳つぶ』という行為ですよ。良かったですねえ、乙女の夢が一度に叶えられて!雛さんの女性としての自尊心も多少はこれで保たれるでしょう。いやあ、めでたい!」


こ、この、悪魔め……。


「絶対やりかえしてやる……!」
「おや、楽しみにしていますよ、貴女みたいな子どもにそんなことが出来るとは思いませんが、ね」


これでもかというほどにかかされた恥は、蓄積された鬱憤は、アマイモンとの喧嘩で晴されることとなるだろう。それが、私なりの仕返しだ。


しかし、いい歳……ほんとうにいい歳をしてそんな子どもじみた真似をして、恥ずかしくないのだろうか。というか恥ずべきなのだ、全く。もう少し自分の外見や性格を考慮すべきなんだ。


「……、」




別に、本当にときめいたりとかドキドキしたりとか、していないんですからね。





ラブロマンスは2日後に

壱万打企画に参加してくださったわかさまへ送る。
リクエストありがとうございました。
遅くなって申し訳ありません。もしよろしければ、受け取ってください!
リクエスト:最近世間で流行の顎クイや壁ドンを深海魚夢主に試みようとしてドン引きされるメフィスト


 

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