冷めない夢


それはもう、夏の暑い日にしかるべくして起こった、一時の事件である。この記録あるいは記憶は、誰の所有物になるでもなく闇に葬られるべきものといえよう。


―――この私、ほかでもないメフィスト・フェレスを除いて。




***





「メフィストさーん、って、あれ、いない」

かの悪魔がいないだけでがらんとした空虚な雰囲気を放つこの一室は、「きれいに」散らかっていた。チェアーの間を縫ってメフィストさんのデスクに向かう。
その椅子の主は不在らしく、腰痛防止のクッションだけが鎮座していた。OLかッ、と心中でツッコミをいれておいて、ふと、キーボードの傍のグラスに目が映った。その隣のボトルにも。

あのひとにも酒を嗜むなんて趣味があったのか。
グラスを持ち上げてその香りを確かめる……、って、この香ばしい香りは……、

「麦茶だ……」

何故わざわざそんな面倒なことをしているんだ。ああ、そういう悪魔だったか。ウイスキーのボトルを満たしておきながらその実麦茶だなんて、誰に試す魂胆だったのだろう。選択肢は私かネイガウス先生くらいだけれど。
ふん、もう知ってしまったからには引っかからない、むしろ返り討ちだ。このお酒もどきを聖水で割っておこうか、うわ、痛そう。

「そのくらいがちょうどいい、か、「何をしているんですか、雛さん」って、ひっ、デジャヴだ!」

とりあえず聖水のボトルをポケットに突っ込み、ごまかしがてらグラスの氷をカラカラと揺らす。
どうしてこう、良いタイミングで入ってくるかなこのひとは……!

「い、いや、何かしていたわけでは……、あは、ははは」
「雛さん、それ、」
「し、知ってますから、これがお酒じゃないってことくらい。第一、こんな真昼間からお酒をあおるわけな、」

ぐいっと。
そりゃもうぐいっと、流れで、飲んじゃって、…………あれ、なんか、

「くらくらする……って、ま、不味い……麦茶じゃ、ない、?」
「どうして麦茶と思ったか知りませんが、それはお酒ですよ。あなたこそ、真昼間から未成年が飲酒なんて……、雛さん?」

あたま、おもいし、めのまえがちかちかする、のどもあつい、かぜとはまたちがうような、かんじ、……うッ、

「騙しましたね、メフィストさん……」

あーあ、とつぶやくあきれがおのメフィストさんをさいごに、わたしのきおくは、ここでとぎれた。




***





メフィストさあん、聞いていますかあ。

聞いたこともない間延びした声で私の肩を揺すり続ける彼女、一条雛に、恥ずかしながらかなり狼狽していた。
落ち着かせるためにソファに座らせたかと思えば、こちらまで隣に座らねばならなくなったのである。そして、拘束された。彼女の細腕によって。


あの、彼女が、私を憎み切っている彼女が、私の腕に自分の腕を絡ませているのだ。


メフィストさあん、と呼ぶ度に寄せられる上体に、二の腕に伝わる柔らかな感触、……存外不快ではないが、呆れてはいる。

無視を決め込んでいると、とうとうぐずり始めた。

「聞いているんですか、聞いて、くれないんですか……?」

目を潤ませるな、厄介なことになる。
幼子を慰めるように頭を撫でてやる。

「聞いていますよ。聞いていますから少し落ち着いてください」
「落ち着いていますよ、メフィストさん、……聞いていてください、本音の話ですからね、本音の……」

彼女の手が、そろそろと私の首元へと伸びた。愛しい者にそうするように、優しく首筋を撫でる。

その手はひどく、熱かった。


そのときだった。


「私は!メフィストさんのことなんか!大っ嫌いなんです!」
「っ、ぐ、絞め、」

私が育て上げた握力を持ってして、彼女は一思いに首を絞め始めた。酔っているとはいえ、毎日得物を握っているのだ。半端なものではない。自分で育てたものに自分が殺されようとするとは、何たる皮肉。
無理矢理突き飛ばしてもいいが、……この様子じゃ余計に面倒を呼びそうだ。

「雛、さん、苦しいのですが」
「憎いし!嫌いだし!道化だし!オタクだし!」
「関係ないような……」
「大っ嫌いなのに、大嫌いなのに、憎いのに、……」

する、と絞め上げていた手が離れる。彼女は俯いて再びぐずり始めた。あまりの酔い方に扱いが面倒になってくる。
乱れた襟元を調えていると、服の裾を掴まれた。今度は何をするつもりだろう。


「でも、ここに居たいんです」


そして、私の顔を見上げて、すがるように囁く。


「……」


な、に、を、……、


「メフィストさん?」


動揺しているんだ、私は。

こんなシチュエーション、ギャルゲーというギャルゲーで攻略してきただろう。あまりの定型句に見飽きてマンネリとさえ思えてきた頃合ではないか。よりにもよってこんな小娘にそれを三次元化されるとは。それに私がときめく……動揺することなど、断じて有り得ない。

「メフィストさん、私、ここに、居たいんです。まだ、ここに、メフィストさんのところに居たいんです」
「わ、わかりましたから、それ以上口を開かないでもらえますか……」
「ど、どうしてですか!メフィストさんと、こんなに近くにいるのに、もっと本当のこと、言わせてください」

やめてくれ。そんなありがちなことを言わないでくれ。
これ以上は心臓が持たない。何とかして酔いを醒まさないと。

「申し訳ありませんが、そろそろ執務に戻らないと」

聞き分けの良い、いつもの彼女であればここで引き下がってくれるのだが、おそらく今の彼女にそれは望めないだろう。案の定、頬を膨らましてむくれている。

「私も、邪魔は、したくないですから……、もう、帰ります」

おや、どうやら酔っていても根は変わっていなかったか。これは僥倖。
しめしめと掴まれていた裾を解放しようとすると、何故か避けられた。

「雛さん?」

そのまま私の手に自分の手を重ね、上へと掲げる。
ぽすん、と収まった先は、彼女の頭頂部であった。

「で、でも、さいごに、……頭、撫でてください」

慌てて、空いている片方の手で鼻を押さえる。何を言い出す、この小娘。そのように無駄に照れるくらいならば言わなければいいものを。


これが彼女の本音、か。酔った勢いで口走っているのであればそうであろう。しかし、ここまで露骨に甘えられると、全く対応に困る。いつもの憎まれ口を叩くような「素直さ」のほうが、まだ扱いやすい。

子供を「あやしてやる」のは、私の性分に合わない。


「はいはい、これで、いいですか?」














だからといって、監視カメラの録画をダビングするのを忘れる私ではありませんとも。

冷めない夢

壱万打企画に参加してくださったわかさまへ送る。
リクエストありがとうございました。
遅くなって申し訳ありません。もしよろしければ、受け取ってください!
リクエスト:間違えてお酒を飲んで酔った夢主が、いつもより素直で女の子らしくなり、メフィストに甘える。それにメフィストが萌えてしまう。

 

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