81:セイム・ハインダー
目の前の霞が消え、それと同時に視界も晴れる。霧隠先生の姿はなく、心配そうに眉を下げた志摩くんが私を見上げていた。彼が来たから、霧隠先生は逃げてしまったのだろう。痛みに疼いていた頭もはっきりしてきて、何を思い出そうとしたのか、全く分からなくなってしまった。
「坊がな、……最近まひるちゃんの様子がおかしいって、心配されはってて」
「勝呂くんが?」
「仲間やからって言うてたよ」
その言葉に、口を閉ざす。何も言えずにへなへなと床に座り込んだ。怖いことばっかりだ。どうして、こんなに怖いんだろう。
「もう、大丈夫だよ。ごめんね、もしかしたら夏風邪かもしれないなあ」
「夏風邪は馬鹿がひくもんやよ、まひるちゃんって馬鹿やったかな」
「馬鹿だよ、すごく」
まだ震えの治まらない両肩を抱いていると、志摩くんが自分のカーディガンをかけてくれた。……確か、初めて会ったときもこうして上着をかけてくれたっけ。
そう伝えると、志摩くんは「あのときの嫌そうな顔は忘れられんわあ」なんて、冗談を言う。今日は、これを借りてもいいかな。
「ありがとう、」
「な、まひるちゃん、」
彼は、薄く微笑んだ。
「まひるちゃんも、何か、秘密があるん?」
秘密、……?秘密なんて誰にだってあるものだ。
「ああ、うん、そうなんやけど、あないにセンセから追究されなあかんような秘密でもあるんかなって」
見て、いたんだ。それもそうか、彼はタイミングが良かった。きっと最初から様子を窺っていたにちがいない。結果的に助かってしまっているので、それを訊ねるような無粋は避けるべきだろう。
「ほら、やっぱ気になるやろ、……クラスメイトやし」
私は、カーディガンを握り締め、彼の顔をすっと見据えた。
「仲間って、言わないんだ?」
その張り詰めた笑顔が、分かりやすく影を持つ。わずかに開かれた眼には濁った感情が渦巻き、私を怯えさせた。それでも、目を逸らさない。覗かねば、ならない。
「言ってほしいんやったら、言うけど」
「ううん、言わないで、辛いから」
「嘘吐きには皮肉やったか」
「嘘は吐いていないよ。隠して、逃げているだけ」
「何がちゃうん?」
そうだね、何も違わない。嘘吐きも、隠し事も、外から見ればいっしょだ。
「志摩くんは、楽しそうだね」
「えー、そう見えます?」
「見えるよ、なんとなく」
「まあ、遠からず、やな」
彼は、狡猾だ。頭がよく冴えている。
「ねえ、志摩くん、」
それはもう分かっていることだった。
「どうして自分から“そういうこと”を言いに来たの」
何の意図もなく自分から中身をさらけ出すことなんて、そんな無計画なことをするはずがない。彼の行動、言動には、すべて意図が混じっている。
志摩くんは私の隣に座り込み、何もない空を見上げた。
「まひるちゃん、俺とよう似てはるのになーんか辛そうやったから」
「志摩くんと、私が?」
「自分本位やろ、まひるちゃん。自分のために、いろいろ見て見ぬフリしてくれるやん」
そんなことまで、分かってしまっているのか。よく見ているんだ、私のことも、他のひとのことも。
「でもま、霧隠センセや奥村センセがあないに突き詰めたくなるの、ちょっと分かるわ」
私があんな風に尋問されなければならない理由、直接的に詰問される理由、……他の誰よりもまず私が疑われる理由、なのだろう。
「まひるちゃん、見つかってへんから、何からも、誰からも」
「見つかって、いない?」
それは誰かも……霧隠先生もメフィストさんに言っていた。私が見つかっていない、それはどういうことなのだろう。
誰に、何に、見つかると言うのだろう。