77:エスケープ・ポイント



一騒動は地震による遊具の崩落と嘯かれた。杜山さんが滞りなく任務を遂行してくれたため、これにて解散、余計な詮索は無用と業務的に通告される。突然現れた美女や傷だらけの燐くんについての説明も、もちろんない。
みんなは不満げだったが、私はそんなことよりもその女の人の履いている……男性用学生服に目が奪われていた。彼女は、パーカーを着ておらず目深くフードを被ってもいない、けれど誰かを物語るには十分な情報だった。

隣で誰かが「山田くん」と呟く。それが最終的な結論だった。


彼女は「山田くん」と偽って生徒のフリをして、ここ数ヶ月授業を共に受けていた「仲間」だ。


どんな人なのかは分からない。けれど、あの雪男くんや椿先生でさえ、そのことについて何も言っていないような人だ。祓魔師であることは間違いなく、さらにその上位の存在であることも窺い知れる。

私はその人に、疑われている。あの台詞は、チェイサーに向けられたあの疑念は、確信のあるものだった。程なくして私へと行き着くだろう。どうしよう、あんな目、見たくない。あの懐疑に満ちた、不信の目。―――鉛でも詰め込んだように頭が重かった。


心配してくれるみんなを置いて、私はいち早く自室へと戻った。荷物を放り出し、窓を開ける。小声でチェイサーを呼べば、すぐに私の手元へ飛んできた。

「召喚紙、破っちゃえば良かったのにね」

魔法印の向こうへ消える羽根を見つめ、外の生温い空気に当たる。あの人は何なのだろう。私を敵と認識しているのだろうか。私は敵ではない。でもそれは、誰に対する敵ではないつもりなのか。私は誰の味方で、誰の敵なんだろう。そんなこともはっきりと言えないなんて、疑われても仕方のない有様だ。疑われても、仕方のない……。


また、頭が痛くなってきた。ベランダのないこの部屋では外の空気に当たりながら悩み事も出来やしない。逃げ場所もないんだ、ずるい造りだな、他の部屋はそろってベランダがあるのに。


窓を閉め、汗の染み込んだ制服を着替えた。ああ、気持ちが悪い。ちょうど片付けたところで、ドアをノックされた。

「はい、」
「まひる、ボクのジュースを下さい」

もう捨てた、と答えながらドアを開ける。アマイモンにも今は会いたくなかったのだけど、用件はそれだけではなさそうだから嫌々ながらも前置きに付き合ってあげる。いまだコンクリートの破片や泥の付着した服だった。

「実は兄上に呼び出されているんです。その弁解に付き合ってください」
「絶対いや。そもそもあんたのせいでしょう」
「ジュースを捨てたお詫びということで」
「私のお金で買ったものだ」
「所有権はボクにありました」
「いやだってば」
「日本人は三度目には了承してくれます」
「個人差があるの!」

しかし、私がアマイモンの力に適うことなどはなく、無理矢理メフィストさんの執務室へと引っ張られながらの攻防だった。そして何故かテラスから部屋を覗いていた。

「呼ばれているんじゃないの」
「来客があるようなので、待機していようかと」
「そのお客さんが帰ってからでよかったのに」
「静かにしてください、バレますよ」

もう何を言っても無駄だ。私はあきらめてメフィストさんのデスク越しにその来客を視認した。

「はッ、……っ、」
「どうかしましたか、まひる」

揺れる赤髪に、再び指先が震え始めた。





mae ato
modoru