07:バッドエンドへようこそ
「(…電話、しないと)」
携帯の画面の、部屋の灯りに反射している部分を親指で擦る。
満腹で、風呂にも入って、準備は完了。後は寝るだけ―――というわけにはいかなかった。
祓魔師になるか決めなくてはいけなかったのだ。
悪魔――私にも憑いているもの、非現実的なそれ――を祓う人になるか。ああもう、分からない。
前の世界の記憶を啄ばんでいることに対して特別な感情はない。良かったところなのか、悪かったところなのかも分からないからだ。
だから悪魔を祓うということに、それほど執着心が湧かない。
社会見学程度なんて、言えまい。悪魔の強さは未知数なのだ。いつか命をかけなければいけなくなる。
じゃあ、別に入らなくても良いか。学費だってかかるだろうし。
よし、そう電話をし―――「キャァァアアッ」携帯を開いたそのときだった。
リビングから、悲鳴が聞こえてきた。
この声は、お母さん。
「お母さん!?」
私は携帯を握り締めて自室のドアを開けた。
パッと目の前に、赤が―――、え?
「な、に、これ」
額に飛んできたものを手で拭って確認してみると、それは赤黒い液体で鉄のにおいがした。
顔を上げると、お母さんの身体に何かが刺さっている。
お母さんの足の先には、お父さんが真っ赤になって寝転んでいた。
何この赤いもの。私の頬についているこれは、一体、何?
「まだヒトが居た。これも殺さなきゃいけないんでしょうか」
ずるりとお母さんの身体に刺さっていたものが引き抜かれる。
お母さんは重力に従って床に倒れた。
あれ、なんで、動かないんだろう。―――もしかして、この赤は、血で、お父さんも、お母さんも、しん、
「うそ、うそだ…!なんで、そんな、」
やっと脳に危険信号が到達した。恐怖で足が竦む。
さっきまでお母さんを貫いていたものは、人の腕だ。あそこに立っている人のもの。
そんなことは人間業ではない。そうだとすると、
結論を下す前に、その人は動き出した。一瞬消えたかと思うと、私の目の前に来ていた。
驚く間もなく首を大きな手で掴まれる。そのまま、ぐっと力が込められた。
「かッは、」
「兄上は子どもだけは殺すなと言っていましたが、もしかして貴女のことですか」
「知らな、ッ兄上って、だれ」
「ンー、貴女が今日会った人です」
「! フェ、レスさん」
「やはり貴女のことですか」
急にその人は手を離した。私はそのまま座りこみ、入ってきた酸素にむせ返る。
苦しそうに息をする私を、その人は無表情に見下ろしていた。
それより、この人は今、なんと言った。
「ぐッ、うっ、…あなたは、悪魔なんです、か」
「ハイ、そうです」
「フェレスさんに頼まれて、来たんですか」
「ハイ、そうです。―――ああ、もう祓魔師が来ました。それでは、ボクはこれで」
「あ、ちょっと、待っ」
私が引きとめたのも無視して、その人は割れた窓から飛び下りた。明らかに人間ではない。此処は八階だ。
その直後に、黒いコートに身を包んだ人が武装して入って来る。部屋一面の赤に目を見開くのが見えた。
不法侵入である彼らを放置し視線を下ろすと、真っ赤な両親が倒れている。
まさか、もう、そんな。
背筋がさっと凍ったとき、少しだけ二人の胸が微かに上下しているのが見えた。
微弱で荒いが、二人は息をしている。
まだ、生きている。
「お父さん、お母さんっ…!」
涙が零れてきた。良かった、本当に。生きていて、良かった。
早く、助けない、と。
二人の方へ手を伸ばすと、その手が知らない人に掴まれた。ゆっくり首を動かして確認する。
「大丈夫ですから、二人は必ず助けます」
その人は私の手を握ってそう言った。視線を戻せば、二人に応急処置を施す黒コートの男らが見える。
「良かった、本当に、」
安心すると、今までひどく身体が強張っていたことに気付いた。力を抜けば、ぐらりと視界が揺らぐ。
ああ、まだ、確認しなくてはいけないことがあるのに。そう思ったのも束の間、私の視界は真っ暗になった。