72:アンビジブル


ただの本だ。どこにでもあるような平凡な本。題名も著者も主題も、何ひとつとして珍しいものはない。

でも、私にとっては手がかりになり得る大切な本だ。情報として、この本は価値がある。


「(まあ、こんなもののためにこの前のようなことが起こったと思うと頭が痛いんだけれど)」


唯一有益だった点を考えるとするならば、オブリビオンの能力が悪魔にも有効だということくらいだ。それ以外は損害にしかなり得ない。あんな、あんな杉まひるという存在そのものを疑問視されるような……。

いや、雑念は払おう。あまり執着してはそっちに引っ張られてしまう。


「(まずは、私ができることを)」


一呼吸置いて、ハードカバーの表紙をめくる。

羅列された『平行世界』『世界線』『トリップ』といったSF味あふれる言葉が、私の目に飛び込んできた。



***




要は私の浅はかな知識を補填しようというのが狙いだ。


私は、私がどうやってここに来たのかを知らなければならない。


来た方法がわかれば、きっと帰る方法もわかるはずだ。同じ方法を使えば、帰ることのできる確率は高い。

学問的な書は小難しい専門用語が多くて読みづらかったけれど、ついでに買っておいたSFの創作小説は解りやすかった。

登場人物が元の世界に帰還を果たしているか否かはまちまちだ。望む者も望まない者もいたし、前置きがあるものも突然なものもあった。一概には言えない。
帰る方法、転じて来る方法で一番多いのは門や扉といった「開くもの」だ。次点で穴といったところだろう。やはり、何か媒介となるもの、繋ぐものが必要なようだ。
その媒介の入手方法は偶然見つけたり探し出したり、創ったり教えてもらったり、あきらめり……と統一性はない。


うーん、参考にはなったけれどいまいち確信は得られなかったなあ。メフィストさんにどうやって来たのか直接訊くのも癪だし……。

まあ、そんなものか。焦っても仕方がない。慌てたところでいいことはないのだから。落ち着いて、冷静に、…………冷静に、ならなきゃ。

首の包帯を少しずらして、本を紙袋に詰めた。それを鞄の傍に置いたところで、ノックの音が聞こえてきた。

「はい、…………アマイモン?」
「そうです」

驚いた。確かにノックしろと言ったけれど、そんな学習能力があるとは思わなかったからどうせまた無理矢理入って来ようとするものだと。そんな感じの皮肉を言うと、いつもと変わらないトーンで「兄上に叱られましたから」と、いつかの言い訳が聞こえてきた。アマイモンの兄上はよく怒るね、と平静を装ってドアの鍵を開ける。アマイモンはベヒモスを抱えて突っ立っていた。

「それで、何か用?」
「まひるは明日、何か用事がありますか」

な、なんだ、その質問は。ぞぞぞ、と悪寒がする。アマイモンから何かのお誘いか、そんな馬鹿な。

「用なら、ある。祓魔塾の実習で、あの、学園町の遊園地……メッフィーランドに行かないといけないんだけど、」
「フーン、そうですか」
「何でそんなこと?」
「いえ別に」

何だそれ。意味がわからない。わざわざ部屋に来てまでしなければならない質問とは到底思えないけれど、余計な追及をして墓穴を掘りたくはない、ここは黙っておくことが適切だろう。
これ以上用事があるようにも見えなかったため、帰れ、とアマイモンを追い返した。もちろん抵抗などされなかった。ほんとうに何だったんだろう。

そうだ、アマイモンとの会話で思い出したけれど、明日は実習だったんだ。それの用意もしなくては。塾のためのリュックを持ち上げ、早速簡易召喚陣の紙を数枚差し込んだ。

あれ、そういえば、

「メッフィーランドって何なんだろう」







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