60:休息


私は“復讐”する相手を変えたかった。メフィスト・フェレスやアマイモンという悪魔共から、奥村燐という悪魔へ。
そうすることで、私は逃げたかった。あの、悪夢から。


―――悪夢?


悪夢とは何だったろうか。


―――<パンドラの箱に置いたもの>


……ああ、そうだった。鍵をかけたから、思い出せないんだ。思い出してはいけないんだ。「思い出さないんだ」。



奥村燐という悪魔を“復讐”相手に適任と思ったのは、単なる私の劣等感からだった。妬みや僻み、そういった薄暗い感情をずいぶんと前から彼に抱いていたからだ。それを、すべて正当化できることをいいことに。

彼のほうから“事件”の犯人として渦中に飛び込んできてくれたものの、結局できなかった。あんなに頑張ったけれど、奥村燐は“復讐”の相手には不足が多すぎた。

彼がろくでなしの魔神の落胤だったらよかったのに。あんなひとでは、恨む私のほうが……「ろくでなし」だ。

私は己の劣等感に勝つことができなかった。それに胸を張ることはできなかった。どこまでも、羨むほかなかった。








こうして私の低迷は終焉を迎えた。

ひとには見せられないような、嫌悪さえ抱かせてしまうような感情を腕いっぱいに抱え込んだまま、再び逃げることを―――沈むことを始めた。
暗くて何も見えない深海へと、身を投げた。見たくないものは見えなくなる。知りたくないものは光のほうへと消え去る。そんな深海へ。

きっとなにひとつとして解決していない。“復讐”にしがみつくこともやめていない。だけど、それでいいんだ。



そうじゃなきゃ、だめなんだ。












疲労感をわずかに残しながら、私は浅い眠りから覚めた。時計を見れば、ベッドに飛び込んでから三時間しか経っていない。もう一度寝る気力も起きない。しかたなく、枕元の紙の束に手を伸ばした。

「奥村燐の覚醒、か……」

あまりにありきたりでつまらないタイトルだと思った。物語ではないから、面白味なんて見出す必要はないのだけど。

一枚目をめくる。気が遠くなりそうなほどゴシック体が延々と連なっていた。……これを読むのかあ。




そのプライバシーも皆無な書類を読破するのに、おおよそ一時間は要した。私の読解力のせいではない、と思う。

メフィストさんが説明してくれた概要とほぼ中身は変わらなかった。より詳細に彼らの内部事情が加えられていることくらいだ。

そして、前聖騎士である藤本獅郎という名前に、ようやく過去の記憶が呼び戻された。

「あ、あのダガーナイフ」

ケースから取り出して蛍光灯にさらす。何の変哲もない、平凡なダガーナイフ……だと思っていたが、よくよく観察してみると細やかな装飾が施されている。実戦に支障を来さない程度のものだ。
何かの呪文が彫られている、のかなこれは。梵字?私にはとても解読できない。ただのダガーナイフじゃなかったんだ。もしかして、思いもよらぬ術や印が施されている、なんて。

雪男くんとメフィストさんいわく前聖騎士の使用していたものらしいから、なにかしら凝っていて当たり前なのかもしれない。
聖騎士といえば、祓魔師の中でも最高位だ。そんなひとが使っていたものと同じものなんて、誇るべきなのか恥じるべきなのかわからない。
きっとずいぶんと格好よく使っていたんだろうな。こう、バッサバッサと悪魔をなぎ倒すような。

それがわかったのはいいけれど、どうして私が問い質されなければならないんだろう?
前聖騎士は雪男くんたちの養父で、その養父が使っていたダガーナイフは私のものと同じもので、それはメフィストさんからもらったもので……。

それで?

私が問い詰められる理由ひとつもない気がする。

だって、前聖騎士が使っていたものなら、彼に憧れていたひとが同じものを使いたいと思ってもおかしいことはないだろう。なにも前聖騎士専用のダガーナイフということもあるまい。

せっかく雪男くんとのわだかまりも取れたと思っていたのになあ。まだ懐疑や嫌悪の視線を向けられるのは少し悲しい。

彼には、どこか親近感を覚えている。似ている雰囲気がするんだ、ちょっとだけ。

「あーあ、時期がすべて解決してくれたらいいのに!」

書類もダガーナイフも放り出し、ベッドへ豪快に寝転がった。




mae ato
modoru