57:Call→Doubt
「ネイガウス、せんせっ」
「っ、杉まひる、いたのか……」
走って追い掛けて来たので息は荒いが、流血したままのネイガウス先生をなんとか引き止めた。
驚いた様子で私を見下ろすネイガウス先生の服の裾を掴んだ。
「医務室、行きましょう。いまならひとはいないはずです」
「……結構だ。どうせ、いまからメフィストのところまで行くんだろう」
「そんなの後回しでいいです。手当てから、先にしましょう」
「……、メフィストの手下じゃないのか」
「その言い方は気に食わないですね。やめてください。もう、行きますよ」
なぜか、泣きそうになってきていた。よく分からないけれど、家族が怪我をして帰ってきたときの気持ちと似ている。
ネイガウス先生は、どこかお父さんのような感じがする。奥さん、いたんだもんな。
医務室に着いたので、パイプ椅子にネイガウス先生を座らせた。
……さて、と。
「ネイガウス先生、アシストしますので手当てしてください」
「手当ての仕方を知らないんだろう」
「……すみません」
「いや、高校生に見せるにはひどい患部だ。どちらにせよお前にやらせる気はなかった」
「そ、うですね」
目を逸らしてしまったのが分からないように、包帯を探し始めた。コートを脱いでいるネイガウス先生を横目で見る。
あんなに躊躇いなく切っていて、痛くなかったのかな。痛くないはず、ないか。
「そこのガーゼを取ってくれ」
「はい」
「ピンセットはあるか」
「ここに」
「この薬の蓋を」
「どうぞ。……なんだか、手術をしている気分です」
「やったことがあるのか」
「ありませんよ、まさか」
私の即答に、ネイガウス先生はくしゃりと仏頂面を崩して笑った。
……こうしていると、ふつうに感情を表に出すひとなんだ。どうしてメフィストさんの言うことを聞いているのだろう。悪魔、嫌いだって言っていたのに。
それを言い始めるとなんで手騎士なんだとかいう問題にもなりそうだ。干渉しすぎるのもよくないし、やめよう。
男らしい無骨な手に、新しい包帯を差し出した。
目の前に置いてあった紅茶に、湯気が立っていた。帰ってくる時間まで把握していたということは、手当てを優先したのも知っているのだろう。
まあ、別に怒られるようなことじゃあないからいいけど。
「お疲れさまです」
「……失敗した」
「ええ、そうみたいですね。問題ありません、次の手は用意しています。
―――ああ、貴方にはこれからも働いてもらいますよ。ですが、祓魔塾の講師は辞めていただきます」
「判った」
「え、ネイガウス先生、講師辞めるんですか」
「なんだ」
「いや、なんか、寂しいなあみたいな」
素直な感想を述べると、ネイガウス先生はぱちくりと数回まばたきをした。
変なことを言っただろうか。首を傾げていると、メフィストさんがくつくつと笑い始めた。
「では、貴女の専属講師にしてさしあげましょう」
「はっ、へ、そういう話じゃ、」
「ネイガウス、存分に鍛えていいぞ。最初の試験で中一級を取るなどと抜かしていたからな」
「……中一級、か。今からでは徹夜ものだな」
「うっ、冗談ですよ!」
「せいぜい頑張ってください。では、今日は結構ですよ」
再度お疲れさまでしたと言って、メフィストさんは手を振った。帰れという意思表示だ。
ネイガウス先生は私の頭を軽く叩いて、出て行ってしまった。
おお、ほんとうにお父さんみたい。
「ずいぶんと、貴女に懐いたようですね」
「そんな犬猫みたいに……」
パチン。いきなり指を鳴らされた。
テーブルに落ちてきたのは、束になった資料。
一枚目に、ゴシック体で『奥村燐の覚醒について』と書かれている。
なんだ、これ。
「貴女への報酬です。きちんと見届けてくれたようなので」
……まさか、これが、―――あの日の事件の、情報。
資料を拾う手が、震えていた。