54:曇天


塾生の一同が談笑している声が聞こえてきた。邪魔しては悪いと思って数秒悩んだ挙句、結局ドアノブを掴む。
パッと私に集められる視線に、苦笑い。

「杉さんや」
「お、ほんまや、だいじょうぶやったんか」
「あー、うん。だいじょうぶ」
「急に理事長に引っ張られていったから驚いたで」
「あはは、思っていたよりもけっこう危なかったみたい」

早速その話題かと頬が引き攣りそうだった。好奇の目にらんらんと輝く志摩くんにイラッとした。女子か。

「大事を取って連れ出してくださったらしい。今日も安静にしとけって」
「まあ、もう何もないようだし、良かったな」
「そうだね……」

もう何もない、か。

残念だけれどそれを言った燐くんにはまた何かあるんだよ、今夜にね。がんばれ。心の中でこっそり応援のエールを送る。

ふとそちらに視線を向ければ、杜山さんがすでに目を覚ましていた。

「あ、杜山さん、もう起きて平気なの?」
「うん。ありがとう、杉さん」
「そんな、こちらこそほんとうにありがとう。杜山さんがいなかったら大変だったよ」
「せや、ちょうどその話をしとったんや」
「杜山さんが受かっとらんかったら俺らみんなだめやろなーて」
「杉さんも心配いらんやろ」
「そうだといいけどね……」

って、あれ。もしかしてこれ受かったら、訓練生から候補生に昇格するから祓魔師認定試験を受けられるようになるんじゃ。
それは、早速試験勉強をしなければならないってことになる。
すなわち、地獄の日々がさらに地獄の日々に……?


「……これからもっとたいへんだ」
「は、なに言ってんの?」
「なんでもないです……」









夏服で過ごせるとはいえど、屋上はまだ少し肌寒い。カーディガンを指先まで伸ばしつつ、ぼんやり空を見上げた。曇り空が広がっている。


今更になって後悔に似た感情が、胸の内を占めていた。これからきっと、ネイガウス先生は奥村燐にひどいことをする。本気にさせるというのは、そういうことだ。
単純な方法で行けば、彼を死の淵まで追いやればいいのだ。人間、死ぬ直前となれば必死になるから。火事場の馬鹿力だ。
少し難しいが、言葉巧みに彼の怒りを沸点まで上げてやるという手もある。この方法は成功率が前者よりも低くなるので、ネイガウス先生はおそらく手騎士の能力を駆使して彼を殺そうとするだろう。


私はそれを、見届けなければならない。


友人ごっこをしていたつもりはない。だから、そのことを考えるとどうしても辛くなってしまう。
友達(だと、少なくとも私は心の中でそう思っている。おこがましいことだが)が目の前で死にそうになるのを、止めることなく傍観しなければならない。
ひどい人間だと、誰かが耳元で囁く。

「(でも、これも復讐のため。ごめんね、燐くん)」

だから、しかたがないことなんだよ。



―――『復讐は、何も生みませんよ』



「っ、」

ああ、また忘れかけていた言葉が脳裏をよぎった。メフィストさんめ、計画に支障を出すなとか言っておきながら。自分がそんなことを言うなんて。



分かっている、分かっているんだ。逃げたってどうしようもないことくらい。











でも、それでも、私は―――。

バンッ、と荒々しく屋上のドアが開けられた。
そこから飛び出してきたのは、ネイガウス先生と、

「雪男くん……?」

話が違うじゃないか。首を傾げながらも、携帯電話を握り締めた。






(“復讐”という理由が必要なんだ)
(どうしても、どうしても)
(元の世界へとーーーーために)




mae ato
modoru