44:暫定的ステルメイト
余計なことを言ったという自覚くらいはある。
「後悔しないんですか」などとそんなこと、自分には何ら関係のないことではないか。彼女が後悔しようと、極端に言えばそれによって自殺しようと自分には関係ない。
ただ異世界の人間という貴重な“玩具”をひとつ失うだけだ。
その筈なのに、何故あんなことを口走った?
―――彼女を独りにしないため、か?
馬鹿らしい意見だと自嘲する。
しかしそれでも、思いがけずあんな言葉が出たのは、事実なのだ。
彼女の本当の“願望”に、確信を持てた所為であろうか。
先日の、まひるの記憶の一件だ。
オブリビオンは、あのとき、いまはまひるの両親の記憶を食べていると言っていた。もうひとつの記憶――すなわちあの夜に見た夢に関する記憶は、彼女が保管しておくように指示したらしい。
逃げているくせに記憶を保存しておくことに対して、違和感を覚える。
いつかは開くつもりなのか。逃げるのならば、いっそのこと逃げ切れば良いというのに。
馬鹿正直で、弱くて、逃げて。それでもいつかはその“終点”があることを理解し、“終点”に辿り着くそのときまで逃げ続ける。そのときのことは、絶対に予想しないで。
彼女は一体何を望んでいるのか。それは、両親の復讐でも前の世界に戻ることでもないだろう。
「独りにならないこと」
それが、彼女の一番内のパンドラの箱に隠されている願望だ。
両親にも、友人にも、―――そして復讐相手であるこの私にも。誰からも拒まれないで独りにならないことなのだ。
まひるは自分がメフィストを享受したからと思っている。しかし、それだけではない。彼女の根本にある「独りにならない」という望みが、自分の指示に従う理由にある。
きっと、従わなければ拒絶され、「独りになる」。彼女は記憶を消したために両親も居らず、頼れる友人知人も居ない。ゆえに、メフィストしかいないのだ。
復讐を誓ってなおもメフィストにすがる。それほど、彼女にとって独りは恐ろしいものなのだろう。
前世の記憶は忘れさせているが、本能的に覚えているのだ。孤独の恐怖を。可哀想な人間だ。
独りにならないためだけに、澄んだ心を汚し、その汚れを隠すべく上から塗りつぶし、また汚す。そうして何時の間にか、深海の底の如く暗くて冷たい場所に独りになる。
―――それだけは避けるべく、メフィストは彼女を復讐から遠ざけようとした。
「彼女に何の思い入れがあるというのだ。たかが数ヶ月の付き合いだというのに、どうして彼女を独りにしないように努める。
この私が、ひとりの人間の小娘に、」
心中を掻き乱していくあの娘が、無性に憎たらしく感じた。
自分は絶対の“プレイヤー”でいなければならない。決められた(否、自分でつくった)ゲームのシナリオを、駒で進めていく。
彼女もその駒のひとりでなければならない。
関与など、認めない。
「…、ゲームを進めなくては」
雑念は軽く頭を振って追い払っておく。否、追い払えてなどいないが、気分転換ゆえだ。
メフィストはいつになく深く重い溜息を吐いてから、携帯電話を耳に当てた。
「―――私だ。大量の菓子を用意しておけ。期限は今週末までだ」
用件だけ述べ、通話を切る。
問題ない。平常心だ。
彼女にはこれ以上深入りせず、させず、今のまま復讐心を抱かせておけば良い。決してそれ以上の関係にならない。
このまま順調にシナリオが進むように、上手く駒を扱えばよいだけだ。
「問題など、あるはずがない」
いつもどおり、プレイヤーはプレイヤーのままで駒は駒のままだ。
それでもなお、彼女に感づかれないようにと普段通りの接し方をしようと思うのは、ただの同情心であると言い聞かせた。