42:休戦条約


きちんと閉まったドアを恨めしく思いながら見送り、盛大に溜息を吐いた。わざとらしく、だ。

さて、

「それで、どうしてまだ銃口を向けているんですか」
「ご安心を、引き金は引きませんよ」
「じゃあさっさと下ろしてください」
「そうですね、僕も人殺しで捕まりたくはありませんから」

殺す気だったのか。恐ろしい。




どうやらまだメフィストさんとの関係性を疑っているようだ。

「はあ、今回は何ですか」
「実は僕、貴女のことを信用しかけていたんですよ」

………、

「は?」
「現れた屍番犬に応戦し、怪我を負い、治療を朴さんの方に優先させた。そのことから、本当にフェレス卿とは何の関係もないと思っていたんです」

ああ、昨夜のことか。そんなことだけで判断するのは安易すぎる気もするけれど、プラスに思われているならいい。
それで、「しかけていた」ってどういうことだ。

「でも、やっぱり信用は出来ません」
「どうしてですか」
「先程、僕らが来る前にフェレス卿と何を話していたんですか?」
「っ、」

いきなり手を引かれて何事かと思ったら、その手の先のぬいぐるみに用があったようだ。ぬいぐるみを目の前に突き出させ、メフィストさんが訪れたことを露呈させられた。
気付いていたのか、ぬいぐるみのこと。

そういえば、メフィストさんが途中で会話を中断してドアの方を向いていた。
あれは雪男くんのことだったのか。教えてくれれば良かったのに。

「フェレス卿が“では、きちんと決定するとしましょうか”と言っていたことだけは聞き取れました。
 しばらくの沈黙の後に、フェレス卿は立ち去った。沈黙の間は貴女に何かを耳打ちしていたんでしょう。
僕が居ることに気付いたから。間違いありませんね」
「……多分そうですよ。はあ、ストーカーかよ」
「では、怪しい行動をやめてもらえますか」
「怪しい行動をした覚えはありません」
「僕がいる場で言えない、決定したことは何ですか」

面倒臭いという感情を飛び越え、段々苛立ってきた。

雪男くんの台詞には、私情しか含まれていない。まるで子どものようだ。
自分が気になるから自分が知りたいから、他人の迷惑など気にすることなく駄々をこねるように疑問をぶつける。
いつもの冷静沈着な様子はひとつも感じられない。

掴まれていた腕を振り払った。

「どうして全てを奥村先生に知られておく必要があるんですか。私生活のこともあるのに。
 奥村先生は何をそんなに危惧しているんですか」
「……僕は何も危惧していません」

ギロリと鋭い眼差しで睨まれる。でも、一切恐ろしさは感じなかった。

その目には、焦燥が見られたから。

「そうやって少しでも怪しいと思ったものを徹底的に排除していくつもりですか」
「怪しいと思ったものを自分が解るようにして何が悪いというんですか」
「疑心暗鬼に陥っているだけです」
「陥っていない!

僕はただ、神父さんのように、兄さんを守ろうと、」





……なるほど、そうか。そういうことか。

「兄が大事なことは分かりますが、その過保護の所為で周りの人間に迷惑をかけるのは間違っていますよ」
「過保護、なんか、」
「奥村先生の兄さんは、奥村先生が周囲の恐怖をひとつ残らず取り除いてあげないと生きられないような、そんな弱いひとなんですか」

私の言葉によって、雪男くんの瞳に戸惑いが映し出された。その瞳を私に向けたまま、口を開かなくなる。

じっと見据えて黙っていると、

「確かに、兄はそこまで弱くありませんね」

ぽつりとこぼすようにそう呟いて、ガクリと項垂れた。

思いのほか素直に同意されたことに、私は驚いていた。もっと逆ギレされるかと思っていたのに。

今日の雪男くんは何やら弱気だ。私にとっては、こっちの方が有難いが。

「……すみません。現在の状況に追いつけなくて、少し焦っていました。やり過ぎてしまったようです」

溜息混じりに吐き出されたその言葉。少しだけ、意外だった。

「そういえば、奥村先生も高校生でしたね」
「そういえばって何ですか」
「いつも気を張って、お兄さんの面倒も見て、首席のプライドにも耐えて、塾の講師もして、……大丈夫なんですか」
「貴女に心配されるほど、弱くはありません」

強がる雪男くんに苦笑いが漏れる。
高校一年生になって途端に環境が変化したんだ。そりゃあ、以前のようにうまくはいかない。だから、自分が頑張らなきゃと責任感に駆られて焦っていたんだろう。

そんななか目の前に分かりやすく疑わしいものが飛び込んできた。それが私だったんだ。他のものに比べれば、随分と問い質しやすいものだもんな。

だから標的にされた、と。うわー、貧乏くじだな。

「……というか、雪男くんって意外と墓穴掘るよね」
「急に扱いを変えるの止めてください」
「あ、すみません。
 じゃなくって、兄の監視だとか兄を大事にしているだとか、まるでお兄さんに問題があるのを自分から言っているじゃありませんか」

「貴女は知っているんでしょう。兄のその能力について」
「何でそう思ったんですか?」
「先日、僕がフェレス卿に電話をしたことがあって、そのときに貴女が傍に居たことを知ったんですよ」
「え、」
「塾初日の夜のことです」
「……、あっ」

あのときの電話って、雪男くんとだったのか。

そうか、あれがあったからずっと疑われていたのか。掃除だけじゃなかったんだ。まあ、掃除だけで疑う方が怪しいか。

「なんだ、あれで疑っていたの」
「同棲でもしているんですか」
「それは語弊がある。あの、私の両親、入院しているから。面倒を、ね」

軽く事情を説明してみせれば、雪男くんはさっと顔色を変えた。な、なんだなんだ。

「なんでそれを早く言わないんですか」
「いや、掃除だけで疑っているのかと」
「僕がそこまで浅はかだと思っていた方に腹が立ちますね」
「うっ、」
「それで、いっしょに…。だったらここまで疑うことはありませんでしたよ」
「えええええ、うっわ、それ早く言ってくださいよ!」

理由をずっと早くに訊いていれば、あんな宣戦布告や尋問はなかったのか。変に神経磨り減らされたよ。

でも、よっし、これで、

「まあ、これで貴女のことを不用意に疑うのは止めます。次は、きちんと根拠が出来てから」

ん?

「えっまだ疑う気なんですか」
「実はもう一つ、気になることがありまして」
「はい?」
「今日は深く問い詰めませんが、直に聞かせてもらいます」
「いや、だから何を」

雪男くんは軽く俯き、コートから何かを取り出した。何かと思えば、私のダガーナイフだった。
これ、昨日の、







「……このダガーナイフ、誰からもらったんですか?」

そう尋ねる雪男くんの表情が何処か懐かしむような、ひどく悲しいもので。私は思わず言葉を失った。



「誰からって、そんなの、」






ひとりしか、いないでしょう。


mae ato
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