40:ぬいぐるみに罪はないのだ


「まったく、情けない。
 中級程度にこの様で、奥村先生を超えられるとでも思っているんですか」



目覚めは、最悪だった。

呆れ顔のメフィストさんがドアップなんて、どんな悪夢だろう。しかし、これは立派な現実なのでなんとか二度寝しようとする頭を起こす。

「なんでいるんですか」
「いえ、貴女が怪我を負ったと風の噂で、ね」
「……ネイガウス先生か」

あの人、そんなこと伝えなくて良いのに。
未だに痛む背中のため動けないので、顔を背ける程度しか出来ない。

「しかし、奥村燐の炎を出すことに失敗しましたねえ」
「は、あれやっぱり燐くんを本気に出させるためだったんですか」
「ええ、塾生が全員揃っていなかったでしょう」
「バラさないって言ったくせに」

「記憶なんて、いくらでも消すことが出来るでしょう?」





その言葉に思わず閉口する。

メフィストさんの笑みが、いつもより悪魔臭い。



―――いや、まだオブリビオンのことはバレていない筈だ。

やっぱり連れてくるべきだったかもしれないが、それで発覚してしまっても困る。

大丈夫だ、まだ大丈夫。

「そうですけど、前もって言ってもらえると助かります。普通に応戦してしまいました」
「まあ、あれは彼の独断で行いましたから」
「……へえ」
「本当ですよ。では、きちんと決定するとしましょうか」

そう呟くと、メフィストさんはふとドアの方を見やった。そのまま、私の耳元に口を寄せる。

「今夜、奥村燐を男子寮旧館屋上へおびき寄せますので、準備を頼みますよ」

軽く叩かれる脇腹。
えっ、万全の状態にしておけと。
小声で伝えた理由を聞くよりも前にその疑問が浮かんだ。

腰を伸ばしたメフィストさんは、「それでは」と言って指を鳴らす。
そしてポンとコミカルな音を立て、“あの”犬のぬいぐるみを残して消えた。見舞いの品ということだろうか。いらねえ。

手を伸ばしてそれを拾い上げ、むかつく垂れ目を見上げる。イラッとした理不尽な苛立ちを感じたので、溜まったストレスをそれにぶつけることにした。
予想以上に感触のいいぬいぐるみだったので、なおのことむかついてきた。





ぬいぐるみの腹に三度目のパンチをくらわせているときに、ドアがノックされた。

「杉さん、入っても大丈夫ですか」
「…はーい、大丈夫です」

雪男くんの声だった。怪しまれるのでそのぬいぐるみはベッドの足元の方に隠す。
開けられたドアから入室したのは、雪男くんの他に燐くんと出雲さんだった。

「おはようございます」
「おはようございます、体調はどうですか?」
「ちょっと背中が痛いくらいで、それなりに万全です」
「熱は下がりましたか?」
「熱?えっ、熱とかあったんですか」
「どんだけ鈍いんだよ」

あ、そういえば額に冷えピタが貼ってあった。忘れていた。

しかし頭痛もなければ熱いとかそういう熱らしい症状もない。おそらく火傷がそれほど酷くないからだろう。朴さんよりもかなり狭い範囲での怪我だったし。

「背骨も無傷でしたし、象並みのしぶとさですね」
「怪我人にそういうこと言うの止めてくれませんか、心の方が重傷になりそうです」
「褒めたんですよ」
「褒めてないです」
「それでは患部の方を診せてください」
「無視か…」

燐くんを殴ろうと思ったのを思い出したので、ついでに雪男くんも殴ろうと決める。奥村兄弟は運命共同体になればいいよ。

毛布を下げ、脇腹を冷たい空気中に晒した。うわ、寒い。


治療をじっと見下ろしている燐くんと出雲さんが、少しだけおかしかった。




mae ato
modoru