36:深海魚は沈む


まひるを送り出すと、メフィストは直ぐに彼女の部屋へと向かった。ドアに鍵がかかっていたが、問題ない。ドアを開ければ、綺麗に片付いた一室が現れる。
辺りを見渡し、“以前と変化した”ことがないか確認していく。

ふと、ベッドの枕元に目が向いた。

そこに、まひると自分の携帯に付いているストラップの、うさぎのぬいぐるみが置いてあった。それは真っ黒で、少しばかり形状が異なっているが。

―――メフィストの嗅覚が捉えたのは、懐かしい虚無界の香り。自然と、手が伸びていた。

メフィストの手がそのぬいぐるみの首を掴んだ。ぐ、と力を込めても、反応はない。

「良いのか、このままだとお前の首を千切るぞ」

尋ねても反応は、ない。

「お前が死ぬと、まひるがどうなるか分かっているのか」

ぴくり。やっとぬいぐるみの指先が跳ねた。

手を離し、ベッドへと落とす。

〈何カ 御用 カ〉
「早朝の出来事を全て話せ」
〈シカシ ソレハ〉
「お前が動いたことをまひるに話すぞ」
〈……〉

困ったようにぬいぐるみは目を泳がせた。傘の先端を突きつければ、ゆっくりと首を縦に振った。

〈まひるサマガ ワタシヲ 創ッタ。名ハ オブリビオン。記憶ヲ 食ベル 力ヲ 持ツ〉

メフィストは思わず目を見張った。


自分が作った嘘の悪魔を、彼女が“創った”だと。


口元が緩むのを手で隠し、そのぬいぐるみ――もとい、悪魔に話を再開させた。






その話を簡潔にまとめると、彼女は己の能力に気付き、ワープの能力を持つ悪魔を創って両親の病室へと向かったそうだ。
そうして、二人の記憶の一部をオブリビオンに食わせ帰宅した。帰って来たかと思うと、オブリビオンに自分の記憶の一部も食わせた、と。

「その記憶を見せろ」

オブリビオンは指示に従い、ゆったりと腕を上げるとその掌から三つのガラス玉が現れた。それを落とせば記憶が見られると、オブリビオンは伝える。

メフィストは早速そのうちの――妙に脆そうで同じものがある――ひとつを床に落とした。

ぱきん、とガラス玉は弾け、そこから光が溢れ出てくる。溢れ出た光は空中で六角形を型取り、その中で人が蠢いているのが見えた。

それを覗きこんでみると、そこには幼い少女と仲睦まじい夫婦が映っていた。―――まひるとその両親である。

どうやら、彼女は両親から自分の記憶を消したようだ。

元から娘がいなかったことにし、あの怪我はただの“悪魔の所為”にしたのだろう。

血が飛び散る様を鮮明に映した記憶が終了し、ガラス玉は元の通りに転がる。

それを拾い上げ、もう一つのガラス玉を落とした。こちらがまひるの記憶だろう。



「…ク、クク」

その記憶を見、今度は嗤いを堪えることが出来なかった。

嗚呼、何てことだろうか。彼女は何て、弱く、脆く、賢い娘なんだろう。
悪魔が好みそうな少女の行いを知って、メフィストは愉快で堪らなかった。

彼女は昨夜見た両親に拒まれる夢と、それによって己の醜さに気付いた記憶をオブリビオンに預けたのだ。自分の能力に気付いたことと、両親の記憶を消したことだけは残して。

そうすることで、彼女は逃げたのである。
これで両親は自分を拒まず、自分は無垢な少女のままで居ることが出来る。

「これは思ったよりも面白い拾い物だったようだ」

記憶の映像を終了したガラス玉をオブリビオンに返し、口止めをしてから退室した。




「さて、これからどうしましょうかねえ」








(深海魚は沈む)
(誰にも見つからない深海の底まで)

(じゃあ 深海の底まで沈んだ深海魚は どうしたらいいのだろう)



mae ato
modoru