33:咎



―――娘じゃない。



「っ、はあ、はあ、…う、」

慌てて上体を起こした。息は荒く、汗で服が背中に張り付いている。気持ち悪い。吐き気がする。

夢が、鮮明に脳裏にこびり付いている。あの、二人の憎悪の篭った目を思い出し、涙が溢れてきた。嗚咽が漏れる。


ああもう、いや、いやだ。何をしているんだ私は。どうして、ああ、なんで。


膝を抱え、子どものように情けなく泣いた。
カーテンから日は射してきていない。まだ、夜明け前だ。

昨日のメフィストさんの言葉が忘れられなかったのだ。合宿の準備をしても、風呂に入っても、全く忘れられなかった。

『止むを得なく』、殺されかけた両親。のうのうと生きている私。悪魔と共に生活をし、悪魔の命令を聞き、悪魔の指示を素直に受け入れる私。

その悪魔は、両親を殺そうとしたにも関わらず。復讐を誓う相手にも関わらず。


どうしてこんなにも容易く復讐を諦めているような行動を取ってしまったのだろう。諦めてはいない筈だったのに。

なんで、メフィストさんと暮らすことが日常になっていたのだろう。



結局は、私が弱いだけなのだ。本当は復讐する気などないのだ。

今の状況を仕方なく受け入れ、祓魔師にならなくてはいけないので仕方なく祓魔塾に通い、戦う術を手にいれるべく仕方なく彼の指導を受け、彼に面倒を見てもらっているから仕方なく彼の命令に従っていた。

私も仕方がないことなんだと諦めていた。


だから、両親が殺されかけたのも『仕方がない』。


彼の行動は理不尽なものだったのだから、私も理不尽に彼の命を狙えば良かったのだ。聖水をかけて、剣でその喉を突き刺してやれば良かったのだ。そこまでしなくても、瀕死の状態にしてやれば良かったのだ。

それをしなかったのは、私に勇気がなく、弱い所為だ。

全て「メフィストさんに面倒を見てもらっているから」、「いつかメフィストさんを殺すために」、「前の世界の記憶を取り戻すために」などと理由をこじ付け、「仕方が無い」と敢えて諦めていたのだ。

いつだってその機会はあったのに。


最低だ、私は。なんてことを。


表では彼らを憎み、復讐を誓って強がっていたくせに、裏ではただ逃げていただけではないか。

両親のことなんて思っていやしない。結局は保身だ。自分のことしか、考えられない最低な娘だ。


「もう、どうしたら、いい…」


お母さんとお父さんに憎まれたくない。罪の意識から逃れたい。二人といっしょにいたい。独りになりたくない。でも、二人は私を忘れて幸せになってほしい。





そうだ。私さえ、二人の記憶から無くなってしまえばいいんだ。

記憶を、いや、メフィストさんに頼るのは嫌だ、じゃあ、どうすれば。


「オブリビオンさえ、いたら、いいのに」


その悪魔がいれば、きっと召喚できる。いや、してみせる。





ぐちゃり。


嫌な音が響いた。

直後、塾の教材が入っているリュックが、有り得ないほどに盛り上がる。

まさか。

私は慌ててチャックを開けた。待っていたと言わんばかりに、そこから真っ黒な手が伸びてきて私の腕を掴んだ。

「な、な、なに」
〈グ、オォ、オオ〉

その手の先には、うさぎに類似した真っ黒な獣がいた。

ずるりとその躯をリュックから引きずり出し、私の腕にしがみつく。目はギョロリと剥き出していて、驚くほどに気味が悪い。


これが、魔印の授業のときに召喚しようとしていた悪魔なのか。

一体、何の悪魔なんだ。喋れるのだろうか。喋れたら、尋ねられるのに。

途端、悪魔の口ががばりと開く。





〈グォオ、オブ、リ、ビ、オン、グルル〉



「……は、」



今、この悪魔はなんと言った。



mae ato
modoru