17:選手宣誓は突然に


定期的に聞こえる足音が、奥村くんの目の前で止まる。奥村くんよりも幾分背の高い彼を、私はぼんやり眺めていた。

「誰か居るの?」
「おう、まひるがな」
「まひるって、まさか、」

ぐりんと奥村雪男くんの首が回り、私と目が合った。何故かとても怖い顔をしていた。驚くと同時に背筋が凍る。

…ええ、私何かしたっけ。

「塾生の杉まひるさん、ですよね」
「は、い。そうですが…」
「知っているかとは思いますが、弟の奥村雪男です」

顔が切り替わり、営業スマイルで自己紹介をされる。それもまた、恐ろしい。何なんだろう、この人。
奥村くんは奥村雪男くん――…ややこしいな――の表情が見られない場所に立っていたためか、冷や汗をかいている私を能天気そうな声で心配してくれた。ノーセンキューだ。

「それで、どうして杉さんが此処に?」
「此処の掃除を頼まれましたので」
「…理事長に、ですか」
「へッ…?」

奥村雪男くんの質問に、思わず口を噤む。何で分かったんだこの人。
無反応だと逆に怪しまれそうなので、曖昧に頷いておく。

「そうですか…、それはお疲れ様です」
「いえ、まだ全部終わっていませんので」
「では、これからも宜しくお願いします」

慰労の言葉はいいから、早く帰してほしい!奥村雪男くん怖いの!あの視線!
時計をちらりと確認すると、予定よりもはるかに時間オーバーしている。あと一部屋とか思っていたが諦めよう。

そんな様子の私に気付いた奥村雪男くんは、自分の腕時計を見やって再び微笑した。

「確かに、もう遅いのでそろそろ帰られた方がいいですね」
「そうですね。じゃあ、失礼します」

ナイス奥村雪男くん!こんなときに空気を呼んでくれるとは。でも、やっぱり気味が悪い。

「お送りしますよ」
「大丈夫です。鍵が、ありますので」
「…鍵、ですか」
「はい。…」

じろりと、手元のアンティークな鍵を見られる。本気で居心地が悪かった。あの目は、詮索している目だ。

奥村雪男くんは私の何を疑っているのだろう。何でもいいが、もうここにいたくはない。早急に帰ろうと失礼を承知のうえで掃除用具を引っ掴んで廊下に出る。ドアを閉め、二人へと向き直った。

「では、失礼します。奥村くんも、じゃあね」
「どっちの奥村くんだ?」
「…あ、そっか。じゃあ、二人共」
「区別するためにも燐って呼んでくれよ。な、雪男」
「うん、そうだね。僕も、雪男で」
「う、わ、分かった…。じゃ、じゃあ、燐くんと雪男くん…。ばいばい」
「おう」

男子を下の名前で呼ぶのは慣れていないので、とてもむず痒い。私は軽く手を振って、寮の出入り口へと足を急がせた。早く帰ろう。


寮のドアに鍵を差し込んだときだった。

「杉さん」

肩に手が置かれ、異常に飛び跳ねてしまう。恐る恐る、後ろを振り返った。

「おく、じゃない、雪男くん」
「すみません、呼びとめてしまって」
「い、いや、大丈夫。何か、忘れ物でもあったかな」

近くに燐くんは居ない。このときを狙っていたのか。さっさとドアを開ければ良かった。
にこやかに笑っていた表情から一変し、雪男くんは真剣な面持ちで私を見据える。

「貴女と、フェレス卿はどういう関係なんですか」

悪ふざけで聞いているのではないようだ。ここで「いやーんそんな怪しい関係じゃないようそんな禁断の恋愛とかなわけないじゃーんあんなオッサンにー」とか答えてみたら、きっとやられる。確実に殺られる。

しかし、どうして掃除を頼まれたというだけでそんなことを聞くのだろう。私は出来る限り焦る心を悟られないように、声を静めて答える。

「…別に、何でもない。ただの、理事長と、生徒との関係だ、よ」
「それは本当ですか?」
「本当だよ。雪男くんは、何を疑っているのかなーって…」

じっと雪男くんを見上げる。雪男くんの表情は特に変わらない。

「…いえ、そう言うのなら今はそれで構いません。ただ、」
「…ただ、何」
「貴方方の思惑通りには、させませんから。兄と、それから僕を甘くみないでください」
「……は、」

ぽかんと呆けていると、雪男くんは再び営業スマイルを浮かべ、

「では、杉さん。お気をつけて」
「え、あ、うん」

と、言って踵を返した。私は一人、残される。

あれ。私、何だかとても敵対視されていませんか。なんで?

よく理解出来ないままその場で考えることを諦めて、鍵を回した。




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