DOCUMENTARY | ナノ



2017 0217 Fri


最近あまりに放蕩に遊びすぎたので、少し己の人間関係や友人観についてぬるま湯の中分析してみました。深夜二時頃ぬるま湯に浸かって、ぼんやりと自己分析や他人分析をすることが趣味なのです。
他人と話すことが嫌いだとか新しい人間関係が億劫だとかは自覚していたのですが、いまの知己の方々ともどうやら面倒臭くなってきてしまって、少しうんざりしていたのです。どうして長期間付き合えないのだろうか、と考えてみたら、まあ当然な理由が浮かび上がってきてしまいました。
困ったことにいま付き合っている方々のことをどうでもいいひとたちと思ってしまっているのです。そして、わたしはどうでもいいひとたちほどいろいろなことをしてあげられるんです。手土産にちょっといいお菓子を持って行ったり、誕生日でもないお祝い事にプレゼントをあげたり、飲み会を奢ってあげたり、無理な誘いにも応じたり、……挙げ始めるとキリがないくらい至れり尽くせりなサマなのです。それでもそのひとたちに対して情のひとつも感じていなくて、終わりのある人間関係と思っています。おかしな話じゃありませんか。こんなに遊んで付き合っているのに、どうでもいいなんて言ってしまうなんて。そうして考えてみれば、恐ろしいことにどうでもいいから何でもしてあげられるという奇妙な性質を発見しました。どうでもいいから、どんな風に思われても気にならないから、どうせあと数年だから、だから何でもできるんです。
そしてこの性質は困った弊害を生んでいます。とても仲良くなりたいひとやとても大切なひとにはわたしは考えすぎて何もできなくなってしまうのです。都合のいい人間に思われたくない、わたしをわたしのまま楽しく付き合ってほしい、図々しい奴と思われたくない、と思考してしまって手が止まってしまいます。だから、仲良くなりたいひとほど離れていきます。わたしはあなたと仲良くしたいのに、ともだちになりたいのに、何も出来ない自分が恨めしい。逆にどうでもいいひとたちほど親友染みたつまらない型にはめられていて、おもしろくない。もっとみなさんとたのしくおもしろく付き合いたい。ネット上はわたしが好きだと思ったひととしか付き合わないので、だからこそ何も出来ないのです。ほんとうはもっとおしゃべりしたい。フォローとかしてまわりたい。でも恥ずかしくてまた逃してしまいました。アカウントを変更したこともちょっとした後悔を生んでいます。うう、かなしい。わたしはもっとみなさんが好きだと言いたい。

非情な人間と思われそうですが、実際あんまりやさしくないと思っていますので結構ですね。わたしはわたしにしかやさしくなれないのだ。わたしにやさしいから、好きなひととおしゃべりができない。くやしい。

このまえ姉と人間関係について議論モドキのようなことをして、よくそういうことをするんです、自己の意見を言い合って共感したり助言したり、そのときにとってもぴったりなことばを見つけてくれました。「ユーモアが足りない」ということばです。
まさしくそのとおり!眼から鱗がぽろり!わたしのいまの人間関係は「ユーモアが足りない」!わたしはおもしろい話がしたい!おもしろく生きなければ損ではありませんか。どうせおしゃべりをするならおもしろい話がしたいですし、おもしろくくだらない話がしたい。工夫をしたいんです、ちょっとのお話しでも。機微の利いた一言でも言えたら、その会話ってしばらく記憶に残って、ふふふって笑えるじゃないですか。それってすごくしあわせじゃないですか。「AをAとしか言えないひとばっかりなんでしょう」そのとおりだよねえさん!わたしはAをBやCと言い換えてくすくす笑いたいんだよ!落語や漫才のようなレベルまでじゃなくっていいから、なんだかつまらなくおもしろい人間のほうがいっしょにいたいと思えます。期待とか押し付けとかはしたくありません。ただそういう風におしゃべりしたいなって思ってもらえたら、いいなって。

他人に期待をし過ぎるんでしょうね。だから妥協していまのひとたちと円滑に生きようとしています。それってすごく疲れる。疲れるくらいならやめちゃえばいいのだけれど、でもだってひとりじゃ生きていくの大変だもの。わたしは楽に楽しく生きたい。もっと失望して生きなければならないんだろうなあ。自分にも希望を寄せないで生きていかなきゃなあ。劣等感が激しいわりに、ずいぶんわがままだ。こどもみたい。わたしはいつになったらおとなになれるんだい。

そんなことをポツポツ考えて、なんとなく鬱蒼として、そうやって眠ります。不健康に眠ることが好きだ。ちょっと不健康だと大きな病気しないもんですよ、今は、将来は知らん。今年はインフルエンザが大流行しているそうですが、お生憎わたしはかかっておりません、イエーイ。年末ひどい風邪に二週間かかりっ放しでしたが、熱も計ってなけりゃ病院にも行っていないので事実はありません。だからインフルエンザではない。証書がなければよいのだ。そんな感じでごまかしごまかし生きていっています。誤魔化すって、すごく悪魔にお似合いの漢字書くじゃない。


自由主義者の自殺と楽園