DOCUMENTARY | ナノ



2016 1209 Fri

師走になりました。とんだことです。時が移ろいゆくのが些か早すぎるのではなくって?もう一年が終わってしまったのですか。そして新たな一年が始まってしまうのですか。最近は専ら早い、早いと文句を付けます。だってそのくらいしか抵抗できないのだもの!みなさんは今年一年いかがお過ごしでございましょうか。わたくしは文化的に健康に生きたために金銭的に不良になり申しまして、将来設計が難儀な一年になりました。ちなみに来年もそうなる予定です。止めるないっそ殺せ。

久方ぶりの更新です、お待たせしました。深海魚第5章開幕にございます。この章もちょっとやそっとじゃ終わりません。割愛できるところはバッサバッサと切り捨てて、なるだけ短く努めます。しかし頻度は上がりません、申し訳。ようやく勉学の方が落ち着きまして、暇を適度に取れるようになりました。かと思えば新たな課題が浮上してきて、もうテンヤワンヤでございます。どうして私を休ませてくれんのです。そんなに急いて生きることは疲れますでしょう。終わりは待てど暮らせど突然来るのですから刹那的に存命しましょう。一寸先は闇でよい。三寸先も闇でよい。
さて、第5章は林間合宿編。最終章への導入の章でございます。いつかお話ししたことがありましたとおり、深海魚は不浄王編にて閉幕致します。厳密に言うと少し違うのですが、指標としては適切な区切りではないかと。導入といえどサクッと終わるはずもありませんので、どうぞ気長に願います。がんばるぞー。毎度言うぞー。

自分の生きる道しるべってありますか。このひとを目標に、このひとみたいに、こんなふうに、こんなことばのように、生きよう。そんな標識をお持ちですか。ふと考えてみたのです。私の生きる標識は何を示しているのでしょう。「後悔は後にすべし」ということばでしょうか、「いまが楽しければそれでヨシ」ということばも前者に通ずるものがあります。前述しましたが、刹那的な生き方をしているのです。将来など考えたくもありません、未来など不必要です。一分後に心臓が鼓動を刻んでいられたら、それでヨシ。なんて考えてしまいます。近くばっかり見すぎて目が悪くなってしまったのかしらん。もっと遠くを見据えていれば矯正しなくて済んだのでしょう。先を考えろ、と言われることが多くなってきましたね。生きるのが嫌になる助言です。我が身が弱冠だからそう思えるのでしょう。大人になると、遠くを見なくちゃならないのですね。新聞を読むとき少し離して読むのはそういうことなのですね。だったら、まだ子どもでもヨシ。ヨシヨシ。こうして自分の頭を撫でて慰めるのだ。そうしないと誰が私を褒めてくれるというの。

淋しくなってきました。今日は誰かと共に寝たい。アラ、我が愚妹がベッドを占領しているゾ。それじゃ、蹴飛ばして眠るとしましょう。おやすみなさい、良き未来を。


一秒後の夜空に星は瞬いていますか