DOCUMENTARY | ナノ



2016 1122 Tue

果たして偽善者とは何か。善たりうる者とは何か。甚だ持ってして疑問である。
先日「ソロモンの偽証」の映画を拝見しました。印象的な始まりに興味を引かれ、退屈していた時分に録画で見ました。少しネタバレを致しますので、以下はご注意のうえご覧になってください。公開から随分経ちましたので、それほど敏感になってないと思いますが念のため。



▽▽▽



とか言って最後まで観ていないのです、実は。観ている最中に突如飲み会に呼ばれすっ飛んで行ったので、ラスト10分程度は見逃してしまいました。犯人……というか真相究明のところまでは観て、最終的に裁判をどう締めくくったのかという感動のラストシーンのところを観ておりませぬ。いちばん観なきゃならんところでした。まあ、それでなんとなく前述のようなことを妄想していたのです。
映画は妹と一緒に観ていて、彼女は何度も目を背けていました。この映画の中には何とも酷ないじめのシーンが度々繰り返され、それが「こわい」と目を塞ぐのです。さらに彼女はストーリーの中である女の子がいちばんかわいそうだと幾度も呟いていました。観た方にしかわからないでしょうが、彼女が哀れに思ったのはなんと「ジュリちゃん」なのです。生憎原作を未読なもので正式な表記は分かりませんが、ここでは「ジュリちゃん」とお呼びしましょう。その女の子は自己の復讐のためにクラスメイトの死を利用し、自尊心の保護のために友人の死を悪用しました。そんな浅薄さに、わたしの妹はついぞ明かされるまで気が付きませんでした。さすがに途中で気付くだろうと様子を窺っていましたが、「ジュリちゃん」の口からその真実が飛び出すと実に驚いておりました。「マツコがいちばんかわいそう!」と叫びました。
そんな妹を見て、わたしは彼女のすなおさに羨望を抱きました。人間の汚なさが恐ろしいと言うのです。人間の弱さに恐怖しているのです。人間の欺瞞に鈍感なのです。
だからと言ってけして率先して善行を働くことはありません。善であろうとはしません。常識を身に付け、分別を付け、無垢な善にはならないのです。だからこそ、すなおで清い妹に育ちました。わたしは彼女を羨ましく思います。同時に不安にもなります。おねえちゃんはあなたが心配よ。

善とは何か。それは果たされるべきなのか、果たされなければならないのか。看過は罪か、黙殺は悪か、密告は偽善か。利己主義や平和主義や、いろいろな主張が頭を巡り、結論には行き着けませんでした。わたしにはむつかしい議題です。善行なんて、はたしてやったことあるかしらん。とにもかくにも、わたしにとって今果たすべき善行は然るに惰眠を貪ることと心得たり。さあ善は急げ。わたしはしかと眠り遊ばすぞ。えっ、いまから仕事?

善たれ、然るに善たり得べし