DOCUMENTARY | ナノ



2016 0610 Fri

初めて、自分の辛さを吐露しました。止められませんでした。最後の最後まで喉の奥で沈めようとしていたのですが、どうしようもなくて、堰を切ったように涙といっしょに流れてしまいました。そのひとも泣きそうに声を震わせてわたしの話を聞いてくれました。「一回離れたほうがいいよ、俯瞰できるくらいにならないと」、わたしはわたしを追い詰めていました、その首に縄をかけられて足下の椅子をガタガタと揺らされている、あるいは揺らしているところから距離を置いたほうがいい、と助言してくれました。わたしはわたしがどれだけおかしなことになっているのか、知らなければならないようです。

こんな風に悩みを書いていくと、わたしも人間だったことを思い出します。構造は人間なのですが、集団の中のひとりになるとわたしは彼らと同じ中身なのだろうかと不安になります。そんな不安を歌にしてみたり曲にしてみたり、絵にしてみたり文字にしてみたり……そういった孤独を抽出したものが世に溢れる芸術作品なのだなあ。残念ながら、わたしにはその孤独を表現する術がありません。きっとそれは、孤独ではないから。孤独を極めた芸術家の末路は周知の通りなので、わたしを孤独にしてくれないすてきでだいすきなひとたちのためにも、このまま中途半端な位置で揺らいでいたい。

最近よくないのです。ここ数年で最高に最悪です。いずれ来るべき災厄だったのでしょうけれども、それでも耐えられません。ここ数日でわたしの心労は最骨頂に至りました。そんなことを書いていたらバスの車内で外国人旅行者の方々に包囲され、頭上で舞うクールなイングリッシュに思わずテキサスの中心にいるような心地になりました。気がつくと日本に帰ってきていました。おかえり。

そんなことを書いて仕事して、帰宅すると家で外国人の方が晩酌していました。父の会社の方だそうです。幼少期から日本にいらっしゃったようで、日本語はたいへん雄弁でした。わたしもそこに混じって楽しくお酒を飲みました。積もりに積もった脂肪を根こそぎカットせねばと息づいていた矢先にビールをぐいぐい行ってしまいました。お馬鹿野郎です。

ふとした偶然が重なって、昨日はなんだか異文化交流の日でございました。貴重な経験ができておもしろい一日でした。辛いこともございますが、こうしてささやかなハッピーを微塵切って金平糖みたいに少しずつ食べて生きていきます。


エステルをひとかけら