DOCUMENTARY | ナノ



2015 0903 Thu

髪を切りました。長さはさして変化ありません。しかし、またコーカクキドータイの主人公さんのような風貌になりました。顔立ちが似ているのでしょうか。今度観てみようかしらん。誰それに似ている、と言われることが実は苦手です。何となく不愉快になります。己の独立性を否定されているような気がするからでしょうか。阿呆らしい意地です。こんにちは、白田です。

習慣化を不得意とすることはわたしの悪いところです。毎日違うことをしていないと記憶に残らない。そうしてわたしは思い出を忘れたり作らなかったりして生きています。「思い出の場所」というものがありません。ずっと覚えておきたい場所、ふとしたときに帰りたくなる場所、ふるさと、とも呼称します。それがない。こいつはどうしたことか。生まれてこの方、土地を動いたことがないこともありますけれど、学校や習い事の場所なんかはわたしにとってそれに該当しません。ああ、強いていうなればひとつありました。どこかへ行きたくなかったのに行かなくてはならなくなった場所。もう今はなくなってしまった場所。あそこへは、行きたいなあ。もう行けないのになあ。

秘密ってありますか。内緒ってありますか。「内緒にしてね」という呪いにも似た言葉が全く遂行されないことは有名な話です。内緒にしなければならないという戒めは好奇心をくすぐります。これを内緒にしないことによって起こる事象を想定し、その当人に降りかかる不幸を妄想して、つい口の端からこぼしてしまう。「この話、秘密なんだけれど」人の噂も七十五日、その二ヵ月半の間に何が起こっても慰められます。「大丈夫だよ」なんて結局大丈夫ではないのに。大丈夫って、由来が消えつつありますね。口癖のように飛び出すこの便利さ。便利は人を駄目にします。何が言いたいかって何も言いたくはないのだけれど、内緒という行動は実際それを公開することに初めて意味が生じてくると思います。だって誰かが知らなければそれは「内緒」ではありません。知ってほしいのです、自分の秘密を。知っている人間がいることで「何か」が起こったときに救ってくれる人間が現れるのですから。その「何か」って、それは各々の秘密によって変わるでしょう。エゴに過ぎない行動です。わたしは誰にも言えない秘密がありますが、それは誰かに気づいてほしい秘密でもあります。話すのではなく気づいてほしい。他力本願がわたしの本質です。みなさんは秘密ってありますか。内緒ってありますか。誰かに話しましたか。誰かに気づいてもらいましたか。知らない人の秘密を知るって、何でしょう、少しおもしろいですね。素性も何も知らないのに秘密だけ知っている。手の内にあるのはその人の心臓なのに、それ以外は何も持っていない。興味深い状況ですね、

自分を卑下するのは自分を擁護しているから。誰から身を守っているのかってそりゃあらゆる外的存在から。そろそろ深海魚を更新しないとまずいなあ。編集作業なのに進まない。日記のほうが文字数あるのに。頑張ります、ぼちぼち。

佐々木蔵之介の「マクベス」を観に行きました。官能的でした。話が面白いのは当然なのですが、増して狂気的でした。うーん、全裸が観られるとは思わなんだ。思わず写真集買っちゃいましたよ。2700円。ごちそうさまです。あ、誤解ないように付け足しておきますが、それは見えませんでしたよ、もちろん。ベッドシーンはありましたが。

思考停止と無自覚という悪