シルノフ編 | ナノ
エミールは使い慣れたライフルをスタンドに立てて、じっと息を殺す。
度々スコープを覗いて、風向きによる修正がないかを確認しつつ、何度も何度も頭の中でシミュレートを繰り返す。
どの角度でもターゲットを狙い打てるよう、何度も、何度も。
そして一息吐くと、すっと息をひそめ、大きくはないホテルの裏口に全神経を注ぐ。
来た。
脳で認識した瞬間、目的の人物は赤い血を頭から流し倒れていた。
スコープから見える周囲が騒がしくなるのを他人事のように確認して、手早くスタンドをたたみ、ライフルを分解する。それらをヴィオラのケースにしまうと早々にその場を立ち去る。
高級感のある六階建てのビルの一階に下りると、ロビーが何やらざわめいている。場所は少し離れているのに、噂がどこからか流れてきているらしい。やはりどこから狙っても油断はできない。
ビルから出て喧噪がエミールを包む。人波を泳ぐように移動しながら、比較的人通りの少ない通りに停車してある車の窓ガラスを軽く叩く。
すると助手席からヴァーシリーが降り、慣れた仕草で後部座席のドアを開いた。
「お疲れ様です、お嬢」
「ええ」
いつもの雰囲気のヴァーシリーに話しかけられ、エミールはほっと肩の力を抜いた。そしてそのまま車に乗り込もうとする。
ぞくり
いきおいだけで後ろを振り向き、内ポケットに隠した小型の拳銃に手を添える。
「お嬢どうされました」
エミールの尋常ではない様子を察したのか、ヴァーシリーも周囲に警戒をはじめる。 しかしエミールは一度息を吐くと、すぐに警戒を解いた。
「…なんでもないわ、気のせいだったみたい」
なるべく何でもないふうに笑いかけ、車に乗り込む。
ルームミラーを見ると、ドミトリーが緊張を隠し切れない表情でエミールを見ていた。それにも笑顔を向けると、ヴァーシリーが乗ったことを確認してから「行って」と指示を出した。
二人の視線が逸れたのを感じ、エミールは首筋を撫でる。
首筋に得体のしれない何かを浴びせかけられたような錯覚を覚えた。
ただの視線のような、意思を持って睨みつけられたような、まるで全身を泥で覆われたような不快感がまだ消えない。
けれどそれを言うのはまるでどこにでもいる少女のようで、そんなくだらないことを考える自分のちっぽけなプライドに苦笑が漏れた。
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