シルノフ編 | ナノ
クルシェフスキーに帰ったエミールを待っていたのはミハイルの力強い抱擁と、ロザリの笑顔と、処罰だった。
城に敵を入れたのは組織全体のミスだが、誘拐されたのエミールの責任だからだ。
下された罰は二週間の謹慎。
想像より相当軽い処罰にエミールは肩透かしを食らった気分になった。
ミハイルが手を回したというより、単純に組織の情報管理統制や城内の警備など組織全体の落ち度の問題、ということもあり、それをエミール個人に償わせるわけにはいかないという結論に達したらしい。
それを聞いたエミールはすぐに「ウォッカは」と聞く。
「ウォッカには外交関係の情報管轄、およびシルノフの処分の始末のすべてを任せてある」
ミハイルの言葉にエミールは俯いた。
実の親を殺すこと、これがウォッカへの処分ならば。
「…残酷、よ」
誰にも聞かれないように呟く。
こんな甘いことを言う私は、きっと「人を殺す」人として最低だから。
それから二日後、ロザリ、ククール、リキュールが部屋にやってきた。
謹慎中だから暇だろうということでカードや本や簡単なボードゲームを持ってきた三人の姿に心底ほっとする。
「…しっかしまあ、無事だったから良かったようなもんだなぁ」
ククールとリキュールとは戻ってきてからはまったく会っていなかったからか、本当に安心したようにしみじみと呟かれた。どうやら事件の後始末に駆けずり回っていたため、すぐに来ることができなかったらしい。
「けど今回は完全に警備の落ち度がでっかいからなぁ、警備隊長のおっさんエライ目みたらしいぜ」
「そう…でも、どうやって入ったのかしら」
あの大きな身体でこっそり忍び込むことなどできるのだろうか、とエミールはロジオンを思い出した。
最期までアスフォデルにつき従っていたあの男は結局何者だったのだろうか。
「調べはついている」
「…誰、の?」
ロザリはきょとん、とリキュールを見上げる。
「侵入した男だ。一応お前には知らせておくのも必要かと思って、な」
そうして携帯端末を指でタッチしながら静かに話し出した。
名前はロジオン。姓はグネーシン・ブロワやグレフ・カプラノワなど色々と名乗っていたため本名は不明。
幼いころ孤児であったが、ある日住んでいた教会から出ていき行方不明。それから十年ほどだったのち、シルノフファミリーの先代ボスの付き人として姿を見せた。
当時彼は十七、八ほどだったらしいが、表立って活動することのないシルノフの代弁者として度々会合の席についてきた。何度が会ったことのある組織の人間によると、頭が良く人当たりも悪くない、しかし巧みな会話術を駆使し没落寸前のシルノフを支えてきていた。
しかし先代の死後の動向は一切不明。噂では彼がシルノフを取り仕切っていたという話もあった。
「…このくらいだな」
リキュールは息を吐くと端末を上着のポケットにしまう。
「…少ない情報だなぁ、おい。つーかシルノフは先々代が他の組織との繋がりを切ったんだろ?それが会合の席に着くっておかしくないか?」
「先々代はな。先代は組織が消えることを恐れて、必要最低限だが他の組織との繋がりを求めたんだ」
ふーん、と言うとククールは紅茶を一口飲む。納得しているのかしていないのかは、わからない雰囲気だ。
それはエミールも同じだった。どうして彼はアスフォデルに従っていたのか。話に聞いた通りの人物ならシルノフファミリーを自分の思うままに操れたはずだ。
それに「これでいい」と言った真意。まったく読めない。
「…はぁ…」
「どう、したの?」
「ううん、なんでもない」
「そういやお前さ、結局なんでさらわれたんだ?」
「え?」
「え、じゃないし。キルシュ様やウォッカは何か知っているみたいだったけど、何も教えちゃくれないんだ」
不思議そうな顔をするククールと、少し不安そうなロザリの顔にはわずかな好奇心が浮かんでいる。エミールはどうしよう、と思いながらチラリとリキュールを見た。
ウォッカの母親がシルノフのボスで、彼女は息子のウォッカに執着していて、彼をおびき出すために私が誘拐されたのよ。なんて、言えというのか。
しかしリキュールは瞬きをするくらいで、何も言わない。そしてすぐに席を立ってククールとロザリを突っついた。
「うぉっ何だよっ」
「あまりよくないことを思い出させるのも酷だろう」
「あ…わりっ…」
「…ごめん…ね?」
ロザリは伏し目がちに俯いて謝る。エミールはそんなことない、とロザリの頭を撫でた。
「ククール」
「ん?」
「時間まずくないか?」
「…げっ!?」
ククールは壁に掛けられた時計を見てすぐに顔を青くすると、紅茶を一気に飲み干して席を立つ。どうやら何か仕事があるらしい。
「じゃ、俺行くわ。…暇だからって部屋でナイフ振り回すなよぉ?」
「んなっ!?誰がするか!」
顔を真っ赤にしたエミールはククールに食ってかかる。それを見たロザリは小さく微笑んで静かに席を立った。
「私も、行くね?」
そう言うとククールの後ろについて部屋を出て行く。エミールは空気を抜かれた風船みたいに怒気を抜かれて、どっと疲れた。
「俺も行くな」
「ああ、うん」
「…今回のことは俺も、兄貴本人も気にしてない。あんまり気に病むなよ」
予想外の一言にエミールはリキュールを見上げると、少しだけ口角が上がり、わずかに微笑んでいた。
そして席を立って扉に向かう。
後姿に光を浴びて、輝く綺麗な銀髪がやけに眩しい。その髪が歩く振動でゆらゆらと揺れた。
「ちょっ…待った!」
「ぐっ…」
一足飛びでリキュールに追いつくと、長い髪を掴んで足を止めさせる。思いも寄らない攻撃にリキュールはうめき声をあげて、エミールと視線を合わせた。
「…俺の毛根をどうするつもりだ」
「あ、ごめん…。じゃなくて、聞きたいことがあるんだけど」
本当に申し訳なさそうにするエミールの姿に「どうぞ」と話を促す。
「あ、あのさ…リキュールのお母さんって…銀髪だった?」
確信はないけれど。しかしリキュールは驚いたように橙色の目を見開いてエミールを見下ろした。
「…そうだ…だけどなんで」
肯定の言葉にエミールはぎゅっと胸が苦しくなる。
あの時、前後左右もわからず途方に暮れそうになったエミールに行先を教えてくれた女性。その女性の面影とリキュールの面影が重なった。
「…ううん、なんでもない」
「そう、か」
深くは聞いてはいけない、と悟ったのだろう。
リキュールはそのまま部屋を出て行った。
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