シルノフ編 | ナノ


 エミールは渡されたホルスターを装着し、銃を確認する。そしてじっと息をひそめた。
 相変わらず騒がしい屋敷内に銃撃音が響く。
 そう遠くない場所でやっているらしい。今すぐに飛び出したい衝動を抑えながら迎えを待つ。すでに出来上がっている計画を変えるのはよくないだろう。

「…じょう…っ!」

「じゃな…こっち…!!」

 激しい銃撃音と怒声に混じり、聞いたことのある声が耳に届く。
 扉の横の壁に背中を寄せ、いつでも打てるよう銃を持つ。近づいてくるのは鉛が銃口を飛び出す音、それよりも早く聞いたことのある声がこの部屋に向かってくる。

「お嬢…っどこですかお嬢!」

「ヴァーシリーこっちだ…!この辺りのはず…!!」

 焦ったような声にエミールは部屋を飛び出す。いきなり目に飛び込んできた光に一瞬目が眩んだ。

「オリガ、ヴァーシリー!」

 二人の名前を呼ぶと同時に無意識に銃を撃つ。その一撃で二人の後ろで構えていた男を一人仕留めた。

「お嬢!ご無事で何よりです!」

「ええ、ありが…」

「お嬢ぉぉぉ!」

 お礼を途中で阻まれる。いきなりのことに一瞬呆けるが、なんてことはない。オリガがエミールに抱きついているのだ。

「オリガ…大げさよ」

「大げさだなんて!!頬にそんな傷を負われているのに!!」

 言われて思い出し、傷口より少し下に触れる。左頬にある傷は、血は止まっているものの流れたものが固まってどす黒く変色していた。

「おのれ…お嬢にこのようなっ!!」

「ちょっ…オリガ落ち着いてくださいって。俺らの仕事はもうここから脱出することだけですよ」

「む…」

 怒りに我を忘れそうになるが、ヴァーシリーの静止により自分を取り戻す。
 そんな様子にほっとしたのか、ヴァーシリーはエミールの肩に触れると周囲を確認した。

「これから裏口より脱出します。走れま…いえ何でもないです」

「当たり前のことを聞かないでくれる?」

「失言でした」

 胸を張るように言うとヴァーシリーの後をついて走る。
 銃撃音は相変わらず響いているが、どうやら屋敷内の見取り図はすでに入手済みらしく迷わずに走り続ける。
 しばらくすると銃撃音も足音も怒声も聞こえなくなった。

「これって」

 わずかな疑問に答えたのはエミールの後ろを走るオリガだった。

「外交顧問殿の手配です!裏口のほうはすでに人払いをしてありますのでご安…心を…お嬢?」

 オリガは足を止め立ち止まったエミールを見る。
 まるで何かに脅えるようにオリガとヴァーシリーを見つめるその表情は、普段からはまったく想像ができないほどエミールを弱々しく見せた。

「お嬢急がなければ」

「ウォッカはどこ」

 表情とは真逆に冴え冴えとした声だ。
 オリガはどうしたものかとヴァーシリーを見た。

「お嬢、それよりも早くここを脱出しなければなりません」

「ヴァーシリー、もう一度聞くわ。ウォッカはどこ」

 疑問という形ではなく、教えろと命令するように口調でエミールは言う。
 どうやら答えをもらうまで動く気はないらしい。

「…外交顧問はここにはいません。城で待ってます」

「嘘よ」

「お嬢…」

 はね付ける強い口調にヴァーシリーは後ずさる。けれどここで許してしまえばエミールはこちらが、それこそウォッカが望まない行動を取る。

「お嬢…お願いです。わがままを言わないでください」

 言うと、エミールはさっと顔色を悪くする。
 幼い頃から良い子であろうとしたエミールにとって『わがまま』という単語は禁忌であることは知っている。
 横でオリガが焦ったよう腕を掴む。けれどここは引けない。
 そんなヴァーシリーの心情を理解したのか、それでもオリガは悔しそうに唇を噛んだ。

「…そうね、知ってる。でもお願い、教えて」

 睨むように、しかし心の奥底で懇願しているような姿に今度はヴァーシリーが焦る。
 ほんの少しの時間、エミールとヴァーシリーは互いに見つめ合ったまま動かない。どちらも自分の主義主張を譲らないし、譲るつもりがないからだ。
 しかしいつまでもこうしていては危険なだけだ。実力行使にでるしかないか、互いがそう考えた瞬間。

「外交顧問殿はシルノフのボスと話をつけるため、単身この屋敷の奥へ向かっております」

 はっきりとした口調で言い切るのは、オリガだった。
 二人は驚いたようにオリガを見ると、なぜが柔らかく微笑まれた。

「オリガ…」

「この屋敷の見取り図などでもっとも詳しい情報が入らなった広い場所が奥にあります。おそらくウォッカ殿はそこに目星を付けられているのでしょう」

「ちょっ何を!?」

 ヴァーシリーは肩を掴み信じられないものを見る目でオリガを見た。しかしオリガは一切そちらを見ない。
 エミールはぐっと息をつめた。
 そして来た道を走って引き返す。後ろを振り向くと、追いかけようとしたヴァーシリーの腕をオリガが捻りあげていた。

「ありがとう、オリガっ」

「無茶だけはされないでください!」

 力強いに言葉にエミールは一つ頷くと角を右に曲がり、後ろ姿は二人からは全く見えなくなった。

「っくそ!何を考えているんです!?」

「私はお嬢のことを第一に考えているに決まっている!」

「そこじゃないでしょう!いや、そうかも…って!」

 混乱しきったヴァーシリーを横目にオリガは腕を組んだ。

「お前は、いや外交顧問殿含めお前たちは男だな」

「…性転換した覚えはありませんからね」

「男のやり方と意見従えというのはお前たちの自己満足だろう」

 その言葉にオリガは自信たっぷりの笑顔を見せる。そしてエミールの走って行った方向を見た。

「女には女の考えがあるんだ、理解しろ」







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