シルノフ編 | ナノ
持っていたヴィオラのケースをヴァーシリーに渡すと、控えていたオリガに任務が無事完了したことを伝え、ボスにも報告に行ってもらう。
今日は後日予定されている、とあるマフィアとの会合のために幹部たちと話合いをしているはずだから、自分が行って気を逸らしたら申し訳ないと思ったためだ。
まだ首の後ろがチクチクとしている気がする。俯いて歩きながら、そんなことを考える。
暗殺を得意とするせいか、未だに正面から強烈な殺気を浴びせかけられることに慣れていない自分自身が情けなく思う。とはいえ慣れるような仕事が回されるのかどうかも、今のところ不明なのだが。
「こけるぞ」
いきなり前から話しかけられて、顔を上げると、見慣れた銀髪が目に入る。
「リキュール!?いつの間に帰ってきたのよ」
任務でヨーロッパのほうへ行っていたはずなのに。半年ぶり以上に見る友人の顔に、エミールは喜びを隠さなかった。
「一週間くらい前だな」
「ウォッカは何も言っていなかったわ」
拗ねるように口を尖らせるエミールにリキュールは「それはそうだろう」と思った。
兄が自分の帰りを知ったのは昨日か一昨日くらいのはずで、昨日キルシュに呼び出され偶然廊下で会ったのが半年ぶりの兄弟の再会だった。
『髪伸びたな』
これがウォッカの帰りのあいさつだった。まったくもって感動も糞もない。
「俺が帰ったくらいで顔色変えるような奴じゃないしな」
「それもそうね」
淡々としたリキュールの言葉にエミールは納得する。たしかに仕事から戻ってきたからといってあいさつするような弟でなければ、自分から顔を見せる兄でもない。
このウォッカとリキュールという兄弟は基本的に淡泊なのである。
「それで何かあったのか?」
「どうして?」
「さっきからずっと押さえてるだろう、そこ」
指を差されて、いまだに首筋を抑える自身の手に気づいた。リキュールとの会話で忘れけていた悪寒が蘇る。
「……ねえ、殺気って向けられたことある?」
小さなエミールの質問にリキュールは眉間に皺を寄せる。
「ない。そういう仕事は担当じゃないからな」
「そうよね」
内部において中立の視点を持つことで組織内の摩擦を軽減し、そのうえで様々な幹部からの仕事を請け負うのがリキュールの職務だ。暗殺もそのうちの一つかもしれないが、正面切って喧嘩を売るような仕事はないのかもしれない。
「…殺気を向けられたのか?」
「わからないわ…初めてで。あれが何なのかもわからない」
「その手の話なら兄貴に聞いたほうが早いだろ」
その言葉に言い返そうとするが、つい口ごもってしまう。
リキュールとウォッカは基本的に、似ていない。毛色もさることながら顔立ちもまったく違う。ウォッカは目つきが柔らかくどちらかといえば女性的な顔立ちなのに対し、リキュールは吊り上った目が印象的な少しきつめの顔立ちである。
そんな二人だが唯一の共通点がある。
淡い橙色の目だ。
実際は茶色らしいが、色素が薄いため光の加減で橙色に見えるのだ。だからかもしれないが、リキュールに見られるとたまにウォッカに見られているような感覚に陥る。
「…ま、現役が五年近く前だから、アテにならないかもしれないけどな」
リキュールはエミールが口ごもるのを別の理由と思ったらしくそう話を簡潔させる。 それに内心ほっとしながら「そうね」と言葉を返した。
目を見てウォッカのことを考えた、なんて口が裂けても言えない。ククールならからかってくるだろう、それならばいい。
リキュールは多分…何の反応もしない、それが逆に怖い。
いや怖いというか、何を考えているかがわかりにくいから困るという意味なのだけれど。
「あんまり百面相してると兄貴に教えるぞ」
「な、何をよ!?」
「さあな」
肩をすくめて、そのまま去っていく。
置いてけぼりのまま放置されたエミールはその後ろ姿を、顔を真っ赤にしたまま睨んだ。
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