クルィロフ家編 | ナノ





 クルィロフ家の双子が時折クルシェフスキー家を訪れるようになり、エミールは任務に双子の相手と中々に忙しい日々を過ごしていた。
 ヴァーシリーはこの日の任務を終えたエミールを自室まで送った後、自身に宛がわれた部屋に向かった。
 狭くもないが広くもないシンプルな造りの自室に入ると、煙草を吸おうとベランダに出る。
 手慣れた所作で煙草を扱う様は、常日頃の人懐っこい表情とは掛け離れており、歳相応に見える。
 ヴァーシリーはベランダから雲の流れを眺めるのが好きだった。ほんの少しだけ空に近い場所から空の表情を感じられるから。
 ヴァーシリーは残り僅かとなった煙草を灰皿に押し付け、上着を脱ぎネクタイを緩める。
 寝心地もそこそこに良いベッドに身体ごとダイブし瞼を閉じる。
 ゆっくりと意識が舟を漕ぎ出した。
 ゆらり、ゆらり。あと僅かで眠れる、と思った瞬間、部屋のドアがバン!と開かれた。

「ヴァーシリー!貴様何寝ている!?」

 そこに立っているのはオリガだった。部屋に入ってきた途端にヴァーシリーの胸倉を掴んできた。何とも言えない酒臭さにヴァーシリーは顔をしかめた。

「…………寝させて下さいー」

 ヴァーシリーは蚊の鳴くような声で要求する。

「今、貴様が参戦せずとしてどうする!我々、お嬢組の無念を晴らせ!数多の亡きがらと化した同胞を放っておく気か!」

 雄々しい叱責は普段ならば背筋が伸びる思いなのだが、今、オリガが言っているのは飲み比べに付き合えということなのだろう。

「…飲み比べの相手はー?」

「外交顧問殿だ」

 うわぁ、とうなだれるヴァーシリー。
 外交顧問殿=ファミリー1の大酒呑みのウォッカである。
 よりによって何て無茶な勝負をしているんだと思わずにはいれなかったが、時たま行われる外交顧問殿VS所謂お嬢組の飲み比べだったので「あぁ、またですかー」とだけ口に出した。
 ここ最近はクルィロフ家のこともあり、飲酒する姿を見なかったヴァーシリーだが、ウォッカは常日頃から多量の酒を摂取していた。
 あまりに度が過ぎるので、エミールがウォッカに度々小言を言うのは日常茶飯事と化しており、そのお小言タイムもいつの間にかウォッカがエミールをからかい出しているので、補佐役のヴァーシリーやトゥルは二人して主人達のそれを遠目から眺めていたりする。
 時にはトゥルが涙目になりながら止めに入っているが、ウォッカの標的がエミールからトゥルに移った瞬間にヴァーシリーはエミールを連れて出て行く。
 哀れなトゥルに同情はするが、取り敢えずエミールさえ無事確保出来たら良い。
 数時間後にやつれたトゥルを見掛けた時には何だか申し訳なくなったが。
 取り敢えず、面倒な相手と飲み比べをしているオリガ達には申し訳ないが、断固辞退させてもらおう。眠い。寝させてくれ。そう思いながらヴァーシリーは言葉を紡ごうとする。

が。

「良いから貴様も来い!」

 有無を言わさず連行が決定したようだ。
 首根っこを掴まれたヴァーシリーはずるずると引きずられて行った。




**




 ヴァーシリーが連れて行かれた先はクルシェフスキーファミリー外交顧問に与えられた執務室だった。
 部屋の主もとい外交顧問であるウォッカは二人掛けのソファに身を横たえ、胡散臭い笑顔を浮かべている。
 ウォッカの周囲は空になった酒瓶で溢れ返っており、彼の酒豪ぶりが手に取るように理解出来る。それに加えて執務室のあちこちには顔を真っ赤にした数人の野郎共が倒れ込んでおり、無理矢理連れて来られたヴァーシリーは溜息をつく。

「オリガ、貴方と私二人での勝率はあるんですか?」

 ヴァーシリーがそう聞くと、オリガは倒れ込んでいる野郎共を蹴り上げていく。

「貴様ら、いつまで寝ている!?さっさと酒を運んで来い!」

 …哀れ野郎共。恐ろしい上司を持ったが為にこんな目に遭うとは。ヴァーシリーはそう思いながらソファに横たわるウォッカに挨拶代わりに一礼する。

「どうも。ところでウォッカさん、酔ってますか?」

「いんや、全然」

 けろりと笑顔で言ってのけるウォッカに、ヴァーシリーは眩暈がした。

(…空の酒瓶が山になっているんですがね……)

 ヴァーシリーは今だ起きる様子がない部下に喝を入れているオリガを手招きする。

「何だ、ヴァーシリー。やっと呑む気になったか」

「オリガ、君は部下達を連れて帰んなさい。お嬢の眉間の皺を増やさせるような真似、補佐役ならしたくないでしょう?自分は後片付けをしますから」

」……む。仕方ないな。今宵は帰る」

「部下達の介抱、お願いしますよ」

「こんな軟弱な奴らは庭の噴水にでも放り込んでやる」

「却下。放り込むならベッドにしてやりなさい」

「……ちッ、つまらん」

 オリガはそう言って舌打ちすると、野郎共を俵抱きにしたり、抱えきれない者は足で蹴り転がしたりして執務室を出て行った。
 嵐が去って行ったかのようなその場の静けさにヴァーシリーは何とも言えない開放感を感じた。

「ウォッカさん、失礼しました。すぐ片付けます」

「別にいいよ?明日、お嬢さんが怒りながらも片付けてくれるだろうし、ねぇ?」

 けらけらと笑いながらウォッカは言うが、ヴァーシリーはそれは本当に勘弁して欲しかったので、やんわりと断りを入れ片付けを始めた。
 早々とヴァーシリーは酒瓶を片付けていく。
 だがウォッカはヴァーシリーが片付けをしている最中もずっと酒を呑み続け、ヴァーシリーの片付けは中々に手間取った。片付けても酒瓶が増えていくのだ。
 呑むペースが異常だ、ヴァーシリーはそう思ったが口には出さなかった。


 ――静寂。酒瓶のカランという音が聞こえるだけの静かな室内。
 だがそんな静寂を破ったのはウォッカだった。

「最近、嫌に胸騒ぎがするからさ、暫くお嬢さんから目を離さないで欲しい」

「それは、どういったことかお聞きしても?」

「……お嬢さんの生死に関わるかも、とだけ言える」

「了解しました」

「ん。頼む」

 そこで会話は終わった。
 ヴァーシリーはある程度の所で片付けを止め、これからまだ増えるだろう酒瓶はウォッカの部下であるトゥルに片付けを任せようと思った。
 ウォッカに退室の挨拶をし、自室へと帰るヴァーシリーは先程のウォッカとの会話を思い出していた。

――目を離さないでほしい。

 そう告げたウォッカの表情は、いつも飄々としているはずの彼のそれとは違い、暗く淀んでいるようにヴァーシリーには見えたのだった。




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