「ねえ徹、あしたのオフさ、」 「あ、無理、俺遊びに行くからさ」 「ねえ徹、今日二人で歩いてた、」 「あ、他校の子、応援してくれて」 「ねえ徹、昼休み手つないでた、」 「あ、ちがう、握手しただけ」 「ねえ徹、朝練の後女の子とキス、」 「あ、転んだの、ぶつかっちゃって」 「ねえ徹、わたし別れたいの」 「あ、それはね、え、なまえ、」 彼女はさっぱりと二人の関係に終わりを告げようとしていた。俺は焦る。そんなつもりはこれっぽっちもなかった。全てはわざとだった。かわいい。この上なくかわいい。だけど、俺のように特別に何かスペックがあるわけではない。少し自分に自信がなく卑下している部分もあり謙虚で、だけど幅広く友達はいる。そんな彼女を嫉妬させてやりたいと思っていただけなのだ。平凡な彼女をそうさせるのは簡単なことだろう。そして俺しか見えなくなってしまえばいいと思っていた。 「じゃあ、」 だが、うまくいかなかった。俺はひたすら頭の中で謝罪と言い訳を考えた。それを天秤にかけて即座に計算する。どちらが彼女の気を引けるか。どちらが彼女を俺の虜にできるか。俺の無言の態度を肯定と見なしたのか、彼女は困ったような顔をしながら去ってゆく。その顔が、俺は好きなんだ。その顔をさせたくて、俺はデートを我慢して興味のない女と手をつないで触れたくもない唇にキスをしたんだ。俺は去るその背中をただ見つめる。目がちかちかする。なんだこれ、何なんだよ。なんで俺がこんなに悩んで、なんで、 「なまえ!」 彼女は振り返らない。特別焦るでもなく歩みを進める。肩を揺らしもしない。追いかけるべきか、一日置いてみるべきか。なぜ、どうして、そんな馬鹿な。こんなはずじゃない。彼女の俺に対する愛を見誤ったのか。いやそんなはずはない。それならどうして。俺は頭がパンク寸前になってその場で俯いた。なまえを失いたくない。今のなまえが向けてくれる愛情で十分だったはずなのに、何故それ以上を求めたのか。何故欲張ってしまったのか。 「徹さ、」 「なまえ、」 「気付かないとでも思ったの」 見たこともないくらい冷たい笑顔だった。ばっと顔を上げた俺の目の前になまえがいた。俺は手を伸ばす。その手をなまえは避けるようにさっと退く。なまえは相変わらず冷めた笑みを浮かべていた。まるで汚らわしい物を嘲るような笑みだった。ああ、もう触れることは許されないんだ、なんてことを思って俺は息を飲んだ。きっと俺の顔は絶望で歪んでいたと思う。 「嫉妬させたかったんでしょ」 「なまえ、」 「くだらない女と触れ合った汚いあなたに、これ以上触れられたくない」 なまえの言葉に俺はただ肩を落とした。ごもっともだ。あんな女たち、なまえの足元にも及ばない。自虐的に笑って俺は膝を抱えてしゃがみ込む。なまえも同じように目線が合うように腰を落とした。俺はなまえには見えない膝と膝の間に顔を伏せ込んで唇をぎりりと噛んだ。 「あなたみたいな人の起こす軽率で幼稚な行動が、女の子をわたしみたいな卑屈で自信のない子にするの」 その口調は、先ほどの冷たい笑みからは考えられないくらい悲しげだった。俺は顔を上げた。それと同時になまえはぱっと俺から離れて立ち上がる。以前に何処かで同じような目に遭ったことがあるかのような言い方だ。俺は彼女の傷口に塩を擦り付けていたのだろう。 「なまえ、」 思えば、彼女に部活のあと電話するのが日課だった。彼女のお疲れさまの一言が優しくて癒された。彼女は必ずオフの月曜の予定を空けてくれた。彼女がふと見せる物憂げな瞳が好きだった。彼女はいつも別れ際に悲しい顔をした。俺はまた顔を伏せた。彼女の大切さに気付けなかったわけじゃない。もっともっと好きになって欲しかった。俺が彼女を思うのと同じように、彼女にも俺を思って欲しかった。 「ねえ徹、」 「うん」 「怒ってないよ」 「え、」 呆れているの、分かってるのにやきもち妬いてしまう自分に。俺は顔を上げる。いつの間にか再び俺の目の前に座り込んでいたなまえが、俺の頬に触れた。他の女の子たちと話している間、その手に触れられることを何度望んだか。 「別れたいとは思う」 「なまえ、俺、」 「黙って聞いて」 ぴしゃりと言い張る彼女に、俺はぐっと口を閉じた。触れられている手の上から手を重ねようとすると、さっと払い除けられた。そんなこと今まで一度もされたことなかった。いつでもなまえは俺を受け入れた。 「徹と付き合ったのは、徹が人気者だからでもバレーが上手いからでもない」 「う、ん」 「好きだって言ってくれたとき、すごくまっすぐだったからなの」 必死だった。かわいいかわいいなまえに触れたいと思った。この友達ともつかない関係性から抜け出したいと思った。もっともっといっしょにいたいと思った。ただそれだけで、俺は90度直角に頭を下げて手を差し出した。君が好きです、付き合ってください、と。こんなださい告白はじめてだった。 「わたし、徹のこと好き」 「なまえ、」 今の俺の顔はきっとぱあっと輝いているだろう。だけど次の言葉で、それもすぐに曇ることになる。 「だから、別れたいの」 「なんで、」 「こんなの辛くて耐えられない」 今にも泣き出しそうになるなまえを、拒否されることを恐れて黙って見ていることはできなかった。俺はぎゅっとなまえを抱きしめた。いつぶりかは分からないが、その優しい匂いは変わらなかった。身体は気のせいだろうか、少し細くなった気がする。 「徹、」 予想に反して彼女は大人しかった。 「好きなの、徹」 「俺も、なまえのこと、」 ぎゅっと彼女を抱きしめる。頭の後ろに手を回して俺の胸に抱え込むように包み込んだ。なまえの肩は小さく揺れていた。 「大好き」 「徹、」 「大好きだよ」 嫉妬させたいんだろうと気付かれていたんだと思うと恥ずかしくてたまらない。それに気付いていたから、彼女はきっと俺に事実確認以上のことは何も言わなかったのだろう。俺は少し身体を離してなまえの頬に手を添えた。初めてのように赤くなるなまえはいつでもかわいい。やっぱ俺にはこの子しかいないんだなと思って、そのピンク色の唇を啄ばんだ。ちゅ、と音を立てて唇を離すと、彼女は赤い顔で小さく笑った。 「さみしくて悲しくて、どうにかなっちゃうんじゃないかと思ったよ」 その言葉がたまらなくかわいくて、俺はもっともっと強くなまえを抱きしめた。 |