××な女の子 | ナノ

 暑い夏の日には決まって大きな麦わら帽子を手渡され、バケツの中に水を張って家の前に打ち水をすることが俺の幼い頃からの仕事だった。それは俺が本当に幼い頃から、まあその頃から身体が同年代の子供より大きかったからなのだろうけれど、重い荷物を持つ仕事や暑い中で働くことを何かと押し付けられることが多かった。それをいやだと思ったことも億劫だと思ったことも無いけれど、重いバケツを持たされて暑い中水を撒いていくというのは子供にとってなかなかに重労働だったと思う。その前後はよく覚えてはいないけれど、家の前の道路はいつも陽炎にゆらゆら揺らめいていてその中に俺はきらめく水のしぶきをたくさんかけた。夏の空が青く、雲はずっと高くにあった。打ち水をはじめるほど暑くなる頃というのはきまっていつもお盆の辺りからで、だからなのかもしれない。ぼんやりとした幼い頃の俺の記憶のなか、それだけが鮮やかに思い出される。映画のフィルムを眺めているように、滑らかにはっきりとそれは実感を持って脳内に流れ出す。俺は柄杓に水を入れてそれをまいている。どこからか低い車のエンジン音が聞こえてくる。ああ、と俺は顔を上げ、大きすぎる麦わら帽子のつばに隠れた視界の中に車が走ってくるのをとらえる。遠くから走ってくるその黒い車は駅まで親戚を迎えにいったうちのものだ。そのまま俺の前を通り過ぎ、家の周りをぐるっと迂回して車庫に収まると、ぞろぞろと親戚家族が車から出てくる。俺はそれを見てからまた打ち水をはじめる。後ろから、親戚の女の子が近付いてきて旭くん、と俺の名前を呼ぶ。振り返れば、白いワンピースを来た彼女が立っている。

 最後に彼女がうちにきたのは俺と彼女が高校生のときだった。部活がお盆休みで、俺は毎年墓参りついでにうちにくる親戚達をむかえていた。昔はよく来ていた従兄弟達もその頃になるとこんな田舎に来ることはなくなっていて、そうなると同年代がいない俺にはますます居場所が無いように感じられた。親戚家族はほとんど本家であるうちに集まっていて、父親は遅れてくる親戚家族を迎えに車で出かけていた。若干人見知りをしがちな俺は、親戚から浴びせられる部活はどう?だとか、彼女はいるの?みたいな質問からどうにも逃れたくて、曖昧に笑って場を濁した後に親戚が集まっていた部屋を縁側から抜け出して、納屋に向かっていた。外に出れば夏特有のむせ返る様な熱気が外にはただよっていて、そこでなんとなく俺は思い立って玄関においていたバケツにをとってくると庭の蛇口から水を注いだ。昔と違って今はシャワーヘッドの付いたホースを購入していたけれど、やっぱり違う気がして俺は柄杓を倉庫から引っ張りだしてくる。打ち水をしよう。そう思い立って、家の前の道路に出るとバケツにくんだ水が夏の日差しがキラキラ反射して粒のように光を散らす。その中にさびた柄杓をそっと沈めると、空気の泡がこぽっとわき出し、それをすくいあげて思いっきり道に撒く。コンクリートは濃い灰色に濡れ、俺は汗を拭った。

「旭くん」

 振り返ると、彼女が立っていた。昔着ていた様な白いワンピースに、つっかけみたいなサンダルを履いて彼女は俺の隣に歩いてくる。昔よりもっと大きくなった俺たちの身長差が、過ぎた年月をありありと示していた。そっと盗み見た彼女の横顔はとても大人びたそれになっていて、俺は妙にとぎまぎする。往々にしてそう言うものだが、昔どんなに仲がよくとも久しぶりに会えばやはり距離は開いているもので、いくら従姉妹といえどもそれは変わらなかった。そういうわけで、どんな風に話せば良いのかわからなかったし、久しぶりに見た彼女が昔の彼女となかなか結びつかないのもあって俺は少し動揺した。

「久しぶり、……いつ来てたの?」
「さっきおじさんに迎えにきてもらって。ここら辺はほんとに変わってないね」

 なつかしそうに目を細めて彼女は笑い、俺はぎこちない動きで柄杓に水を入れてそれをまくという行為を再開する。ぱしゃ、という水が地面に打ち付けられる音が妙に当たりに響き、彼女は暑い、と言ってスカートをぱたぱた仰いだ。それはなんだか見てはいけない様な気がして、彼女に背を向けて打ち水を続ける俺に、後ろから声がかかる。

「親戚の人たち、本当にうるさいんだよ。進路は、とか、彼氏はいるの、とか。だから抜け出してきちゃった」
「俺も、あれは参ったなあ」
「だよねえ、久しぶりにあったらあれだもん。そう言えば旭くん、背大きくなったねえ」

 彼女はそう言うと俺の隣にぴょこっと並んで、前屈み気味に打ち水をしていた俺にちゃんと立って、と促した。背筋を伸ばしてたってみれば、なるほど確かに彼女と俺の身長差はますます際立っていた。彼女の大きな目が俺を見上げて、つやつやと夏の青空を映し出している。上目遣いのまつげが夏の日差しの粒を転がすみたいに輝いていた。暑さにほてったほおにえくぼをつくって彼女は笑っている。

「前会った時、これくらいじゃなかった?」

 彼女は手のひらをうんと低い位置においてころころと笑った。それは言い過ぎ、と言った俺の声はもう緊張もぎこちなさもはらんでいなくて、ああそう言えば昔はこうだったなあと少し思い出す。あの頃も彼女は打ち水をする俺の隣にやってきて、どうでも良い話しをして、二人でよく笑ったっけ。遠く思い出せない記憶が実感を伴って少しだけ引き出されると、なつかしさになんとなく切なく思えた。まだ子供だというのに、幼少期のことは特別きらめいて思えるのはなぜなのだろう。

「そうだ、あの麦わら帽子。かぶってないんだね」
「あれはもうさすがにかぶってないよ、どこにいったんだろうなあ」
「捨てちゃったの?」
「いや、多分まだ倉庫かどこかにあると思うけど」
「え、なつかしい、探そうよ」

 彼女がうれしそうに提案し、断る理由も無いので俺がバケツの中の水を空にするのを待ってから二人で倉庫に向かった。小さなプレハブ作りの倉庫の中は空気が常に溜まっていて蒸し暑く、長年ろくに人の出入りが無かったのでほこりの匂いがしていた。本棚に無造作におかれたアルバムや、使いどころの無いがらくたが至る所におかれていて、彼女がきょろきょろと回りを見渡しているうちに俺は持ち出した柄杓を元の場所にしまおうと足を踏み入れる。古雑誌の間に柄杓をおき、ついでに辺りを見回してみるが帽子らしきものは見当たらなかった。随分昔のものだし、もう捨ててしまったのかもしれない。これ以上探しても見当たりそうも無いと判断し、残念だけど、と言いかけた俺の声を、あった!いう彼女の嬉しそうな叫び声が遮った。振り返ると、麦わら帽子をかぶった彼女が踊るような軽やかな足どりで倉庫を出て、くるくると何度かその場で回っているところだった。その度にスカートがゆるゆる舞い上がり、大きめの麦わら帽子のつばから彼女の髪が流れるようにこぼれだし風に踊っている。暗い倉庫から明るい太陽の下にいる彼女を見ると、日差しに照らされたその姿がいっそうまぶしく、白いワンピースが日の光と一体になって彼女自身が光っているような気すらしていた。よく似合っているなあ、と俺はその時になってはじめてぼんやり思ったのだが、よく考えてみれば俺が彼女を思い出すときはいつも白いワンピースを着ていたからそれが似合っているということなのだろう。

「旭くん、かわいかったなあ。このおっきな麦わら帽子でいっつも顔が隠れてたの。それで、暑いのに、打ち水一人でしてて。私それ、車からいっつも見てた。旭くんのその姿見ると、夏だなあって思ってたの」

 彼女はそう言って麦わら帽子を脱ぎ、倉庫から出てきた俺の前に立って麦わら帽子をかぶせようと背伸びをした。俺は少しかがんで頭を出すと、彼女が麦わら帽子をかぶせてくれるのだが、あの頃と違って女物の帽子は俺のあたまにはあわなかった。途中でつっかえたままの帽子を頭にかぶるというよりのせたといったような状態で、視界を遮らない帽子のつばを少し寂しく思う。ありゃ、と笑った彼女を見下ろしながら俺は考える。そうだなあ。夏と言えば。

「俺も、みんなが来る車の音とか、打ち水するときとか、夏だなって思ってたよ。あと、そういう白いワンピースとか」

 言った後に俺は麦わら帽子をとって右手で持つ。彼女はワンピースの裾を両手で広げると、それを自分でまじまじと見た後に満足そうに笑い、夏って感じでしょう、と言った。

 それが彼女がうちにきた、最後の夏だった。

・・・

 控え室はいやにクーラーが効いていて、スーツを着ている俺たちはちょうど良かったが薄い生地のドレスを着ていた女性達は寒すぎる、と文句を口にした。親戚が集まるのなんて本当に久しぶりのことで、しかも今回は東京だからか結婚式の前の週から親戚一同ホテルに泊まって観光をしている。メインはもちろん今日の結婚式なのだが、彼らにとってはもはやこれも含めたいろんなイベントが集結したちょっとした旅行気分である。俺は仕事があったので親戚達とは違い今朝急いで新幹線に乗りいましがた式場に到着したばかりであった。遅刻せずにすんだことにほっと胸を撫で下ろし、窓の外に何気なく目をやればガラス越しに初夏の美しい青空が広がっていた。雨が降らなくてよかった、ブーケトスは外でするみたいだから、と隣で親戚が話している。左手の腕時計に目をやれば、まだ時間には少し余裕があるので今のうちにと手洗い場へ向かおうと席を立った。
 式場の廊下はあっちへこっちへとねじまがっていて、しかもそのどれもが似たような柄の絨毯や壁をしていてややこしい。男子トイレは下の階にしかありません、とさっき尋ねた式場スタッフが言っていたので階段を探していたが予想以上に複雑な作りをしていた建物に嫌気がさしていた。もう後で行くことにしようか、と思案しながら目の前の角を曲がると突き当たりの部屋の扉が開いている。道を間違えたかな、と引き返そうか迷っていると、その中途半端に開いていたドアが大きく開き、自分の母親がひょこっと顔を出した。なにしてるの、と母親が尋ねてくるので多少驚きつつ成り行きを話そうとするが、ちょうど良かったから見ていきなさいと手招きされ、有無を言わさぬ母の物言いに促されるまま部屋に入る。失礼します、とドアから顔をのぞかせる形で俺はおずおずうかがうように中を見渡した。

「あ、旭くんだ」

 そこには、真っ白なウェディングドレスを来て微笑む彼女がいた。
 何年も会っていなかった彼女は、ますますいつかのときの面影を残したまましかし別人の様な思いを俺に抱かせた。ひらひらとした生地の柔らかそうなレースに包まれて、彼女は仕合せそうに微笑み、久しぶり、と記憶の中の笑顔と寸分変わらず微笑んでみせる。あの時のままのえくぼがこれは彼女なのだと俺に教えていた。部屋の中には彼女だけがいて、他の人は皆忙しく出払っているようだった。さっきまでいた母親も何かを探しに部屋を出て行き、そうすると彼女と俺の二人きりになってしまい、相手が長年会っていなかったいとことなるとやはり何を話せば良いものやら少し気まずい思いがする。こういう時言うべき言葉は山ほどあるはずで、しかしどれが最善なのかいまいちわかりかね、とりあえず最も無難であろうものを選ぶ。

「えっと、結婚、おめでとう」
「ありがとう。仕事あったのに来てくれたんだね」
「従兄弟だからね」

 それきりなにを言えば良いものやらわからなくなり、いや、綺麗だねだとか素敵なドレスだねとか、そうでないにしても思い出話とかとにかく何かしらあったのだけれど、そのとき俺はまったく気が回らず、じゃあまた後で、と苦笑し場を濁した。また後で、と手を振った彼女を見た後にきびすを返し部屋を出ようと歩く俺の足を、彼女の、あ、という声が止めさせる。思わず振り返った俺を見て彼女は立ち上がるといたずらっぽく笑い、両手でドレスの裾を持って広げ、夏って感じでしょう、と言った。
 白いワンピースの似合う彼女は、今は白いウェディングドレスを着ている。俺の記憶のなかではずっとあの時、帽子をかぶって笑っていたあのときのまま止まっているけれど、実際は俺も彼女も大人になったのだ。柄杓を手に握ったときの感覚も、水をいっぱいに入れたバケツの重さも、麦わら帽子越しに見る夏の景色も、それから彼女の着ていたワンピースの白さも、全部全部思い出せるのにそれは甘い夏の幻想みたいに思い出すだけで切なくなる。それは美しい子供時代の、そして、輝かしい青春時代の象徴として俺の中に存在し、ついぞ消え失せることは無いのだろう。彼女のことが好きだったのだろうか。いや、わからない。夏の幸せな記憶として彼女が結びついていただけなのかもしれない。それにしても記憶は美化されるものだし、誰かに盗まれることも無く自分で好きなときに取り出しいつでも眺めることが出来るのだから。しかし確かに言えることは、白いワンピースを着て微笑む彼女は美しかったし、ウェディングドレスを着た彼女もまた、とても美しかったということだけなのだ。
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