××な女の子 | ナノ

 実を言うと朝、家を出るときから具合が悪かった。それでもそのあたりはまだ症状が軽かったような気がする。症状が強くなったのは三限の終わりのあたりだった。
 もともとあった体の倦怠感に加え、じんわりと響く頭の痛みだとか時々うなるように聞こえる耳鳴りだったりで、昼休みが始まる頃には、私の体は限界に達していた。
 もともと貧血症の気があった私はよく中学の頃はこんな風に具合が悪くなることがあった。けれど高校に入ってからはめったにそういう症状はおきなかったので、改善されたと思ったのだけど。
―――これは、完璧、やばいやつ。
 よろめく体で、壁を伝いながら歩く。一緒にお昼を食べるはずだった友人に保健室へと行く旨を伝えて、私は必死に保健室を目指していた。一階にある保健室はまだまだ遠い。というか具合が悪いせいで、より遠く感じてしまう。
 くちびるをかみ締めながら足を動かしていると、耳朶に響いていた昼休み特有の喧騒がふっと遠のくのがわかった。目の奥がぱっとまたたいて、体から力が抜ける。リノリウムの床へと体が崩れ落ちるとわかって手をつこうと身構えようとした。けれど体に力がはいるわけもなくて、冷たい床に身を投げ出されることを覚悟した瞬間、私の腕を誰かがつかんだ。そのまま腕を引かれ、私の体は誰かの胸に抱き寄せられる。
 手首をつかむその"誰か"のてのひらは、ひんやりとしていた。腰に回された腕は力が強くて、そこで私は支えてくれた人が、男の人であることを知る。
 視界いっぱいに広がるワイシャツの白に、目をしばたきながら私はその誰かの顔を見るために顔を上げた。

「……は、なまきくん」
「大丈夫?」

 予想もしていなかった人物に、私は思わず目を見開いて彼の胸を押した。距離をとるためにした行動だったけれど、もともと体には力が入っていない。私のその抵抗は花巻くんが腰に添えた腕に強く力を込めたことであっけなくなかったことにされた。
 花巻くんの胸の中にいる、そう自覚したところでばくばくと心臓が大きな音を立てる。もともとくらくらしているのに、よりその症状が悪化してしまった気がした。何しろ彼は私の好きな人、というやつだった。

「倒れかけてるのに大丈夫なわけないか」

 そんな私の心情などいざ知らず、花巻くんはそう一人ごちてから私の目を見つめた。たれ目がちの瞳が、私のことだけををじっと見つめている。その事実にかっと首の後ろが熱くなった。
 視線をそらして下を向くと、その動作が具合の悪さから来たものだと思ったのか、越しに添えられていた花巻くんのてのひらが肩へと伸びる。そのまま支えるようにして肩をつかむと、花巻くんはひざを突いて私と視線を合わせるように、顔をのぞきこんだ。

「おんぶと横抱き、どっちがいい?」
「………え?」
「保健室まで歩けないでしょ?」

 思いもよらぬ問いかけに思考が停止しかけたものの、つまりどっちかで私を保健室まで運んでくれるらしい。なんてこった。
 確かに保健室まで歩いていくのはどう考えても億劫というか大変だろうとは思った。だけど、おんぶや横抱きなんてさせられるはずがなかった。密着してしまうし、なにより私は重い。まっすぐにこちらを見つめている花巻くんはただ心配してくれて、手を貸そうとしているだけだとわかっていたけれど、恋心というのはそれで割り切れるようなものではない。
 それに花巻くんは細いので、私のことなんてきっともてないのではないだろうか。
 
「わたし、重たい、ので」
「うん」
「……花巻くん持てないと思う。だからその、大丈夫、ひとりでも」

 なんとなく後ろめたくてごまかすように大丈夫と付け足すと、花巻くんは苦笑した。
 花巻くんの身長が高いせいか、しゃがみこんでいる花巻くんとたっている私の距離は意外と近い。至近距離で見せられるその表情に、心臓がきゅうってなった。 

「俺、そんなに非力に思われてるんだ」
「そ、そういうわけじゃないけど、でもほんとに重いし」
「みょうじさんぐらい、ちゃんと持てるよ」

 その言葉がつむがれるのとほとんど同時に、眩暈が私を襲った。ふらついて、思わず倒れかけた私を花巻くんが抱きとめる。
 ほらね、と笑いながら私の背中を撫でた花巻くんの体は思っていたよりもかたくてがっしりしていた。細く見えた体は、考えていたよりもずっと筋肉質だ。かたい、男の人のからだに包めまれていることに、急に恥ずかしくなる。これ以上問答を重ねているよりはと、私は降参しておんぶでお願いしますと囁いたのだった。





 私と花巻くんが話すようになったのは、席替えで席が近くになったという理由からだった。隣でもなければきっと私は花巻くんに話しかけることもできなかっただろう。
 花巻くんの容姿は大人っぽくて、初めて話すときにはすごく緊張した。だけど花巻くんは私のある意味失礼とも言える態度をよそによく話しかけてくれたのだ。少したってからはそんな風に話すのが楽しくなって自分からも話しかけられるようになった。といっても他愛のない内容だったけど。
 そんな風に話すようになると、今まで気にしていなかったことがなんとなく目に入るようになって、花巻くんを目で追うようになった。磁石でひきつけられるように、たくさんいる男の子の中で目を引かれってしまうのだ。
 そんな風に目で追うようになってから、ある日突然これは恋なのではないかと自覚した。笑いかけてもらうことや話しかけてもらうことが嬉しくて、一緒にいたいと、そう思ってしまうからだ。
 少女漫画みたいに運命的なことがあったわけじゃない。運命できまっているように急に恋に落とされるというよりは、私の中にあった恋という物質がつもりに積もって、そうして許容量を超えた、そんな感じだった。
 例えば花巻くんは意外と甘いもの、特にシュークリームが好きなこと、異性問わずいろんな人と話しているけれど、同じ部活の人たちと話しているときが一番近しく見えること、どきっとするような色っぽい笑い方を浮かべるくせに、(同い年の男の子に色っぽいという形容詞が当てはまると感じたのは初めてだった)意外と純粋なこと。そういうことを知っていくたびに、私の心はいつのまにか花巻くんを特別な存在として組み込んでいた。
 誰かの動作ひとつで、こんなにも心を揺り動かされることを、私は始めて知ったのだ。私が特別として思っているように、特別として思って欲しいって私がどれだけ思っていたか、きっと花巻くんは知らない。 



 視界にふっと光がさしたような気がした。まぶたがゆっくりと持ち上がっていく。目に入るのはクリーム色の天井だった。目は開いていたけれど、意識はぼんやりとしている。
 目の乾きを感じて、私は思わず目を手でおさえた。

「起きた?」

 見知ったその声に、意識が強制的に覚醒する。飛び上がるようにして状態を起こすと、こちらを見ていた花巻くんと目があった。ベッドとベッドの間に惹かれているカーテンをバックに、花巻くんはパイプ椅子に座っていた。てのひらには携帯が握られていて、ひざには私のかばんが置かれていた。

「先生、今みょうじさんの迎え呼んでくれるって」
「……そっか」
「あとこれ。鞄取りに行くのみょうじさん無理そうだったから代わりに取ってきた」

 花巻くんのひざにあった私の鞄を手渡しで渡されたので、そのまま受け取って今度は
私のひざに置いた。意識が覚醒したことで、花巻くんの背中で意識を失ったことを思い出す。鞄を持ってきてくれたことと重ね重ね申し訳なくて、思わずくちをつぐんで花巻くんの顔を見つめた。すると、花巻くんは横に置かれていた未開封のペットボトルを差し出して笑った。

「心配しなくても鞄に荷物詰めたのはオレじゃないよ。オレがするのはさすがにまずいかなってみょうじさんの友達に頼んだから」

 花巻くんが笑ってくれることだとか、そこまで気を回されていたことに、胸の奥がざわざわする。私は差し出されるままに、ペットボトルを受け取った。

「そんでそれはついでに買ってきた。好きだったよね、それ」

 その言葉どおり、ラベルをよく見てみれば私が好んで買っていた紅茶だった。前に花巻くんに好きなのかと問われて肯定した覚えがある。
 私の好きだという言葉を覚えていてくれたこと、私のために動いてくれたことに、心臓の辺りが熱を持ったような気がした。ざわついていた気持ちはただ嬉しかったのだと、遅れて理解する。迷惑をかけてしまったことはわかっていてもそれでも嬉しく感じてしまって私は唇をかみ締めた。

「喉かわいたかなと思ったんだけど、いらなかった?」
「……や、むしろすごい嬉しい。でも、ごめんね。こんなことしてもらって」
「別に謝ることじゃないよ。オレが勝手にしたことだし」

 さらりと流されるようにつむがれた言葉はわざとらしさとはかけ離れていて本当に自然だった。気を使ってそういう言葉を投げかけているわけではなく、本当に思っているんだろう。
 好きだなと思った。そういうところが、とても好きだと思った。
 胸のなかにわきあがるあついものがじわじわと広がっていくような気がして、そんな感覚をごまかすためにペットボトルのふたを開けようとした。だけどてのひらに力が入らない。
 何度か試してみたしたものの、いつものようにあけられない。そんな私を見かねたのか、花巻くんは私の手の中にあったペットボトルのふたへと手を伸ばした。大きくて冷たかったその手は、私とおなじものを手にかけているとは思えないくらい簡単に、ふたを開けた。

「みょうじさんってよくこんな風に体調くずすの?」
「中学校の時は多かったんだけど、高校に入ってはあんまり。だから油断しちゃった」

 あけてもらったペットボトルに口をつけると紅茶の甘い香りが口の中に広がった。冷たい液体が、乾いていた喉を潤していく。自分の喉が渇いていたことを知った。思い返してみれば具合が悪すぎて朝ごはんのあとからまともに何も飲んでいなかったような気がする。

「でも倒れかけてるところで花巻くんに会うってすごい偶然だね。びっくりした。だけどすおい助かっちゃった」
「……あー。実は偶然でもないんだよね」
「え?」
「みょうじさんいつにもまして青白かったから勝手に心配してたっていうか」

 困ったように視線がそらされていた花巻くんの目が、こちらを向く。あっけなくペットボトルのキャップを開けてしまったてのひらが、私のてのひらの上に重ねられた。その手はやっぱり冷たくて、しなやかだ。ぎゅっと握りこまれることで、少し遅れて自分が手を握られていることを実感する。
 そのせいで一気に顔に熱が集まった、だってこれは、さっき触れられたのとは意味が違う。

「顔真っ赤。肌白いから余計目立つな」
「は、はなまきくんっ!!」
「……そんな風にさ、顔真っ赤にされると、期待する」

 そういった花巻くんの顔も、うっすらと赤くなっていた。
 それがどういう意味なのか、わからないほど鈍感ではなかった。だけど、信じられなくて、でも嬉しくて、私は顔がますます赤くなるのを実感しながらてのひらを握り返す。好きだという気持ちが、そのてのひらを通して伝わればいいとそう思った。
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