企画 | ナノ
リタはパーティーの夜、城の中にいた。
ジュディスの作戦は成功したのだ。
作戦は簡単なものだった。
リタが着飾って、貴族を装い、パーティーに出る。城内へはジュディスが調べていた侵入経路で入ってきた。
とんとん拍子にことが運んでしまったことに、城のセキュリティの甘さが心配になったが、リタはそれよりもパーティーの空気にとけ込むことに必死だった。
ジュディスはおらず、リタはひとりだ。
しかも、直前まで仮面舞踏会だなんて聞かされていなかった。ジュディスも直前になって知ったらしいし、それは直前に決まったらしい。
シュヴァーンの元に「私を選んで」と願いに来る女性が多かった様で、平等を期してと、内面で選ぶことが出来るようにという配慮だったらしい。
シュヴァーンも仮面をつけて来ると聞いたが、仮面をつけたところで彼はバレてしまう気がする。みんながみんな彼を目当てに来ているのだ。背格好くらい覚えてきているだろう。
もうパーティーが始まって長い時が過ぎている。広い会場ではシュヴァーンを見つけることが出来ず、リタは壁の花となっていた。本気で探せば見つかるのかもしれない。だが、この着慣れないドレスと履き慣れないヒールにリタはうんざりしてしまっていた。
これがチャンスだとはわかっている。歩くのは辛く、顔だけきょろきょろと動かして、シュヴァーンを探したが全く見つからなかった。
「こんなとこで何してんの」
リタの隣に誰かが立った。
仮面のせいで視界が狭い。首を回して確認すると、男が壁に寄りかかって立っていた。
黒いぼさぼさの髪をくくっている男はリタを見て口角をあげる。
このパーティーにはシュヴァーン以外にも男性が来ている。一番人気は今回の目玉であるシュヴァーンなのだろうが、男たちも必死にコネを繕うとしているのは、会場を見回したときに見て知っていた。
それにリタも先ほどから何度か声をかけられているのだ。
またかと思って、リタは視線を会場に戻す。しかし、この男はそれでは引き下がらなかった。
「どこのお嬢さんよ? こんな時間まで、悪い子ねえ」
こんな話し方をする貴族もいるのだろうか。
そちらをまともには見ずにリタは鬱陶しげに手で彼を追い払った。
「あたしは、まともな生まれじゃないわ。とっとと他当たったほうがいいわよ」
「……なるほど」
ぽつりと聞こえるか聞こえないかの声で彼は言った。
その声は聞き覚えがある。シュヴァーンに似ていると思って、彼を見ると、彼はシュヴァーンとは似ても似つかない心底怠そうな仕草で壁に預けていた背を離した。
「俺にはおまえさんがすっごく綺麗に見えたんだけどねえ」
「あ、そ」
「連れないわねえ……。お目当てがいるの? 今日のパーティー。知ってる奴なら連れてきてやるけど」
「あんた何者よ」
「今夜は仮面舞踏会よ? 嫁に来るなら身分教えてやってもいいけど?」
「さっき、どこの人間か、あんたは聞いてきたくせに」
「そうだっけ?」
しらばっくれて首を傾ける男から視線をそらす。付き合ってられないという意思表示に彼が苦笑いをこぼした。
「まあまあ、うら若き乙女の恋路を応援したくなるおっさんの気持ちも察してちょうだいよ。お目当ているんでしょ? どうせ今夜だけのつきあいなんだから話しちまいなって」
軽い口調でそう言う男にリタはそれもそうかと考える。
この男とは今夜限りのつきあいだ。こちらの身分もバレていないのだし、言っても困ることはない。
リタは少し速まった心臓を感じながら男を見て口を開いた。
「シュヴァーン」
男の口が、リタの口から出てきた名を聞いたとたんにぽかんと開いた。
今夜の目玉である彼をこんな小娘がねらっているということをバカにされているのだろうか。苛立って、「もういい」と立ち去ろうとしたリタの腕を男があわててつかんだ。
「待て」
「え?」
「待ってくれ、リタ」
腕をひかれて、そのまま振り替えさせられる。
似ているとは思っていたが言動も態度も仕草も違ったため、他人の空似だと思いこんでいた。
それなのに、腕を引いたのは、間違いなく先ほどリタに声をかけてきた彼で、声も言葉遣いもシュヴァーンのものだった。
「シュヴァーン……?」
リタの肩に手を置いていた彼がリタの小さな問いかけに静かに頷いた。
カッと顔が熱くなる。とんでもないことを言ってしまった。
目当てはシュヴァーンだなんて言ってしまったのだ。告白と同義だ。
逃げ出したくて、リタはシュヴァーンの胸を押す。だが、シュヴァーンは、今度はリタの手を握って離そうとはしなかった。
「なんでっ、さっきまで全然違ったじゃない……!」
「バレては、婚約者を決めさせられる。それを避けたかった」
「決めればいいじゃないっ! あんたおっさんなんだから!」
「リタがいないパーティーで、婚約者など見つけられん」
小声での言い争いの最後の言葉にリタは仮面の下で瞳を瞬かせる。
体中が恥ずかしさで熱い。シュヴァーンの頬も心なしか赤く見えた。
「俺はリタを救ったときに救われたんだ。泥沼におぼれていたのは俺だった。戦争で死んだ仲間の分も生きようなんて、あの頃は考えられなかった。早くみんなの元に逝きたいとばかり考えていた。俺を変えたのはリタだ」
「あたしはっ、なにも……」
「していただろう。リタはすべてに一生懸命だった。手抜きなんて一切していなかっただろう。生きることにすらリタは全力だった」
貧民街での暮らしが長かったリタはすべてに必死だった。
はじめはひどかった家事を一通りこなせるようになったのは、そのおかげだ。
それをシュヴァーンは見てくれていた。
「結婚してほしい」
「あたしでいいの? あたしは高貴な生まれでもなんでもない」
「高貴な女性が好きならば、とっくに結婚している。リタがいいんだ。だめだろうか」
緊張したような声音が周囲に漏れないよう小声でささやかれる。
リタはこれまでの人生を思い出していた。
下町に生まれて、戦争で両親を亡くした後からはひどい毎日だった。
ゴミを漁って、盗みを働いて、持ち前のキレる頭で大人をだまして金を手に入れて。そんなほめられたものではない人生がシュヴァーンの手によって変わった。慣れない家事を必死にやって、シュヴァーンに少しでも喜んでもらえれば幸せだという思いを抱えていきるようになった。
その人生をまたシュヴァーンがこの言葉で変えようとしている。
リタは、笑った。花が咲いた様な可憐な笑顔は仮面をしていても透けるようだった。
「だめじゃない。言ったじゃない。あたしの今日の目当てはあんたなんだって」
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