企画 | ナノ
バクティオンから帰って以来、リタの様子が少しおかしい。
仲間がいるところでは変わりないのに、ふとした瞬間ふたりになると、リタは動揺した様子で、ふたりきりの空間から逃げるようになった。
今までは、レイヴンの存在など見えていないかのように扱うことが多かったのだ。こちらがいくらふた周り上の適当男だからといって、隣で無防備に寝てみたり、目の前で大胆にあぐらをかいて座ってみたりと、恥じらいなど全く感じられなかった。
裏切られたことで警戒心が増しているのではないのだとレイヴンは判断していた。理由は彼女の表情だ。
軽蔑などではなく、なにかこちらの様子を窺って目が合うと焦ったように飛び出していく。
はじめは嫌われたなと思ったのだ。あんなことをしたのだ。当然だと。だが、リタは仲間の前では本当に自然なのだ。以前と変わったところは、近づくとはっとした様子で一歩だけ遠のくというところくらいだ。
彼女は、嫌いな人間に話しかけることができるような器用な人間ではない。
あの態度から想像がつくことはひとつなのだが、レイヴンはそれを予想から確信にすることはしないと決めていた。
今夜は冷える。
白い息を吐き、羽織の中に手を引っ込めてレイヴンは歩を進めた。
少し離れた静かな場所で本を読むリタを夕飯に呼びに行くためだ。
本当は食事の用意が完全に終わるまでたき火の前に座っていたかったのだが、ユーリに「ちっとは働けよな、おっさん」と急かされて、リタを迎えに行かされてしまった。さんざん渋ったのは、めんどくさかったからではない。リタが嫌がるかと思ったからだ。
少し歩くとリタは地面に座って本を読んでいた。あぐらをかいた足に本を乗せ、真剣にそれを読む姿にレイヴンは少しだけ呆れてしまった。
この気温で、なぜたき火からかけ離れたこんな場所で、固い地面に座って本を読むのか。
配慮が足りなかったとはいえ、みんながそれぞれ勝手にどこかで好きなことをしていた時間。レイヴンはリタが先にいたたき火の元へと暖を求めて近づいたのだ。その瞬間リタは顔を上げ、なにか口ごもって「静かな場所行ってくる」とここまで来てしまったのだ。
リタの性格から、なぜこうなってしまうのかはわかる。そのうち、自分の気持ちに整理をつけて、開き直ったように今まで通りに接しようとしてくるだろうことも想像できる。なら、彼女が開き直るまでは、この避けられる生活にも耐えようとは思っていたのだが、こんなことをしていたら、リタかレイヴンが風邪を引いてしまう。
困った恥ずかしがりのお嬢さんにレイヴンは呆れた様子で、だが、自然に頬をゆるめて小さく息を吐いた。
「リタっち。こんなとこにいつまでも居たら風邪ひくわよ」
「あ、おっさん……!」
顔をあげて、レイヴンの姿を確認したとたん、リタは読んでいた本を閉じた。隠すように後ろにしまうその姿に違和感を覚える。いつもの恥ずかしがっている姿とは違う。あぐらを崩して、十分距離があるにも関わらず、じりりと後ずさったリタにレイヴンは瞳を眇めた。
「ちょっとー。リタっち。なに隠したのよ、今」
「っ隠してないわよ?」
視線を横にずらしながらリタが背に回した本をいじっているのが分かる。おそらくホルダーにしまおうとしているのだろうが、焦っているためかうまくいっていない様子だ。留め具を留め損なった、わずかな金属音が何度も聞こえる。
「なに? やらしい本?」
「あんたじゃあるまいし。違うわよ」
ふんっと鼻を鳴らしてはいるものの、その表情に余裕はない。
じりじりと後ずさるリタにレイヴンは容赦なく近づき、その目の前にしゃがみ込んだ。
「おっさんには見せられないような本なわけ?」
普段より少し真剣に問いかけて首を傾げてみせる。リタが危ないものに手を出すとは思えないが、こんなに必死に隠されて気にするなと言われる方が無理な話だ。
リタは困った様子で眉を寄せ、うつむいたまま、おずおずと背後から本を出してきた。
「これは……?」
本のタイトルすら読めない、正確にいうと術式を使用した暗号でしか書かれていない本だった。
天才魔導少女と呼ばれるリタが読むにはふさわしい本だろう。
だが、これをなぜ隠す必要があるのか。
「心臓よ」
「心臓……。まさか、心臓魔導器?」
「そう。城に行ったとき見つけてきたの。アレクセイがややこしい鍵つけて保管してた本のうちの一冊よ。あいつの持ってた本は禁書ばっかりだったけど、これは禁書でもなんでもない。この世に一冊しかない本よ」
恥ずかしそうに本の説明をしているリタがなぜこれを隠していたのかがわかった。照れくさかったのだ。
心配なんかしていない。そう見せたがっているリタは、こんな心配している証拠なんてレイヴンには見せたくなかったのだろう。
ちらりとこちらを見上げたリタと目があった。びくっと反応して、目を伏せたリタの頬が見る見る染まっていく。
押さえ込もうとしていた感情が主張して、胸がくすぐったい。小さく笑うとリタが不満そうに唇をとがらせた。
「なに笑ってんのよ」
「リタっちもおっさんのこと心配してくれたんね。ありがとう」
よしよしと頭を撫でると普段は怒り狂うはずのリタがおとなしかった。相当照れている様子がおかしくて、からかいたくなってしまう。
頭に手を乗せたままレイヴンは目を細めた。
「リタっちはおっさんのことなんか嫌いなんじゃないかと思って、おっさん悲しかったんだからー」
「……嫌いだったら、泣いたりしないわよ」
「え?」
ぼそりと言われた言葉が予想と違っていた。
驚いてリタを覗き込もうとすると、リタはレイヴンの手を振り払って立ち上がる。星空をバックにリタは真っ赤な顔のまま胸を張った。
「だからっ、あんたが死んじゃったんじゃないかと思ったときもあたしは泣いたの! あんたなんかどうでもいいと思ってたのに。エステルのこと考えなくちゃってあの時は思ってたのに……」
ぐっと言葉をとぎれさせ、リタが一瞬黙り込む。その一瞬の静寂にレイヴンはなにかが変わったのを感じた。
「もう、いいわ。こんなの、あたしがおかしかった。我慢とか、恥ずかしいとか柄じゃないわ。あたしはやりたいようにやる」
いつもレイヴンがリタにしているようにレイヴンの頭をリタが撫でた。
精一杯の優しい手つきにレイヴンは目を丸める。じんわりとした暖かさが胸にこぼれた。
「覚悟して!」
覚悟もなにも、もう堕ちている。そんな言葉を胸にしまってレイヴンは曖昧に笑った。
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