【額(友情のキス)】
「流石に暗いわね」
「ごめんなさい……」
「謝んなくて良いの。あたしが勝手に着いてきたんだから。それにいざとなればラピードも居るから大丈夫よ」
「バウ!」
旅の途中でダングレストに立ち寄った途端に天を射る矢の幹部、つまりレイヴンの仕事仲間に引き摺られる様に去っていたレイヴンを迎えに行く事になったのはリタとエステルとラピードだった。
いつもならユーリかフレンのどちらかが、なかなか帰ってこないレイヴンを迎えに行くのだが今回は本当に残念なのだがユーリとフレンも引き摺られるレイヴンに引き摺られて一緒に飲みに行ってしまっていた。
ユーリもフレンも一緒に行ったなら、放置しておけば良いだろうというのがリタの意見だったのだが、心配性で優しいエステルの意見は「明日ユーリ達が辛かったら可哀想です……」というものだった。
それがリタの着いてきた理由だった。
やめておけと言ったってエステルは行くだろう。
ならば、一緒に行ってやった方が心配をしなくて済む。
ジュディスとパティ、カロルも一緒に行くと言ってくれたのだが、ジュディスが行けば恐らく場が盛り上がるだけな為ジュディスには残ってもらい、カロルとパティはジュディスが1人では可哀想だと居残り、ラピードはいつも通り気を効かせてくれたのか、それとも主人を迎えに行くならばと着いてきたのか、どちらかは分からないが宿を出たところで自然に合流した結果が、このメンバーだ。
「天を射る重星で良いわよね」
「はい。いつもそこで飲んでいるのを捕まえる、と以前ユーリが言っていました」
「ったく、しょーがないおっさんよね、本当」
「ふふ」
楽しそうに笑うエステルにあまり夜のダングレストは似合わない。
酔っ払いやらごつい武器を担いだ大男やらがうろつくここではエステルは異色な存在だと思いつつ広場を左へと曲がった。
もう時間も時間だというのにわいわいと騒ぎ立てる声を店の外まで響かせている酒場へと入るとテーブルは全て埋まっていたがレイヴン達を連れていった連中もレイヴン達自体も見当たらなかった。
「おかしいですね。一本道ですから、入れ違いにはならないですし……」
「紅の流星群」
「紅の流星群……です?」
「そうよ!そこしか考えられないじゃない!綺麗な女とべたべたしながら飲みまくってんのよ!あんのエロおやじ!」
酒場の喧騒に紛れてはしまったが相当大きな声で叫んで地団駄を踏んだリタは、そのまま回れ右をして酒場の戸を開けた。
バンッ!と勢いよく開いた戸にピクリとラピードが耳を震わせたがリタは気にせず、エステルと共に店を出た。
「リタは本当にレイヴンが好きなんですね」
「はあ?」
ふふっと楽しそうに笑いながらエステルが言った言葉は物凄く心外だった。
今、リタはレイヴンに心底腹が立っているのだ。
好きだなんて有り得ない。
「何でよ。そんなわけないじゃない」
「でも、リタはユーリとフレンも綺麗な女の方とべたべたしているかもしれないのに怒らなかったです」
「そ、それは……信頼の問題よ」
「そうなんです?ちょっと残念です」
「っ……有り得ないわよ。あんなおっさん……」
唇を尖らせて拗ねた様な表情でリタの言った言葉は空気に溶けてしまうのではないかという位に小さく、俯いた頬は僅かに赤かった。
俯いた時に目が合ったラピードが少し笑っている様な気がしないでもなかったがなかった事にして早足で辿り着いた紅の流星群へと、またラピードを置いてエステルと入店した。
「いらっしゃーい!って、あら?可愛いお嬢さんね。珍しいお客様」
「あ、あの違うんです。わたし達、人を探していて」
「今来てるのはレイヴン達だけだけど……」
「居たー!!あの、馬鹿!」
やたら露出の多いグラマラスな店員とエステルの会話も聞かずに周囲を見渡していたリタは中央のテーブルのソファーに寝転んでいるレイヴンとその隣でそれぞれ酒を飲んでいるユーリとフレンを発見して歩き出した。
何処からどう見てもめちゃくちゃ怒っていますと主張している足取りに周囲の目がリタに集中する。
綺麗な女に擦り寄られて困った顔をしながらも器用に受け流していたフレンも何故か天を射る矢の幹部の1人の男と打ち解けて盛り上がっていたユーリもリタの目には入らなかった。
全ての元凶はレイヴンだ。
レイヴンが大人として、まだ若いユーリとフレンを連れ帰って来るのが普通な事であり、しかも天を射る重星ではなく、紅の流星群に来たのも恐らくレイヴンの提案だ。
楽しく綺麗な女と飲んで騒いだ挙げ句に寝こけているレイヴンがどうしても許せなかった。
「今日という今日はぼっこぼこにしてやんだから」
酒は体に悪いからやめろと寝不足も心臓に悪いからやめろと、あんなに言ったのにこいつは聞いちゃいないのだ。
こっちがどれだけ心配しているかなんて欠片も知らないレイヴンへの苛立ちはマックスに達し、リタは腰に提げた本を取り出した。
エアルが本の角に集中して、そこを当たったらより痛い凶器へと変えていく。
ごくりと周囲が生唾を飲んだ事にも気付かずリタは軽く片足で飛んでレイヴンの頭目掛けて本の角を振り下ろした。
「きゃっ!」
「リタっちー!!」
驚いたのはリタだけではなかったはずだ。
完璧に眠っていたレイヴンはリタの攻撃を華麗にかわしてリタへと逆に飛び掛かって行ったのだ。
飛び上がった体勢のまま抱きつかれては、どうにもならない。
片足だけ辛うじて床に着いては居たがリタはバランスが取れずに後ろへと倒れた。
「レッ、レイヴンさん!!」
「やるな、おっさん」
「リタ、大丈夫です!?」
レイヴンがリタを押し倒したという状況にそれぞれの反応を示した仲間達に続き、周りがレイヴンを囃し立て始める。
しかし、リタはというとそれどころではなかった。
「ちっ、近い!」
「ん〜?」
酒臭い上によくよく見れば端正な顔立ちが間近にあるというのは心臓に悪かった。
ぐいぐいと胸板を押してレイヴンの下から抜け出そうと試みるものの魔術師の細腕ではレイヴンの体はどうにもならなかった。
「せーかっく来たんだから、リタっちも飲んでく?」
「飲むわけないでしょ!?」
「ほらほら、どうぞっ」
手だけ伸ばして机の上から酒瓶を取ったレイヴンはリタの小さな口へと無理矢理琥珀色の酒を流し込んだ。
レイヴンが嫌う甘い酒だということは多分これはユーリのものだと思いつつ、飲まなくては呼吸も出来ない状況に必死でリタはそれを飲み下した。
「っなにすんのよ!」
「おい、おっさん。そろそろ止めとけよ」
酔っ払いとはいえ、やりすぎだ。
顔を酒まみれにしたリタがぼーっとしてきた頭を振って再度レイヴンを押すと、ユーリがレイヴンの首根っこを掴んで引っ張ってくれたお陰で何とかレイヴンが動いた。
最悪な上にとんだ赤っ恥だ。
倒れた時に打ち付けた背中を押さえながら起き上がるとエステルが駆け寄ってきた。
「大丈夫です?」と心配そうに聞きながら白いハンカチを差し出す姿に天使を重ねながらリタは、礼を言ってそれを受け取った。
「リターっち」
「あー、もう何よ!」
ユーリとフレンに押さえられながらも器用に身を捩って素早くリタの手を掴んだレイヴンはリタの額にキスを落とした。
「おおっ」と周りが若干どよめき、リタの視界がぐらりと揺らめく。
「リタ!?リタ!大丈夫です!?」
「嬉しくて気絶しちまったか?」
「リタっちったらかーわいいっ」
「レイヴンさん……僕は……」
こんな人を長年尊敬していたなんて……という悲しみに包まれるフレンに羽交い締めにされながら、レイヴンはまたふわふわと夢の世界へと旅立ってしまった。
騒動の中心であったレイヴンとリタが眠ってしまえば、後は何も面白い事はないと、それぞれまた好き勝手に酒を煽り始めるところは流石は天を射る矢の幹部だ。
はあ、と短くため息を吐いたユーリに抱えられたリタの顔は可哀想な位真っ赤だったが、恐らくこれは酒の他の原因も強いだろう。
「フレン、おっさん任せたぞ」
「ああ……分かった……」
「じゃあ、帰るぞエステル」
「はい」
まだまだだな、おっさん。
今度は素面の時に口にしてやれよ。
まだがっくし来ているフレンの隣を歩きながらユーリが呆れたような顔をしていると、戸を開けた先のラピードもこちらを見るなり主人とそっくりの表情を浮かべた。
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