暗闇に佇む男と、側に座り込む子供。ちかちかと瞬く蛍光灯の明かりと何かがぶつかる音だけがひびくトンネルは、昼でも夜でも季節にも関係なく不気味で寒かった。
子供はさっきから何処で拾ったのかマネキンの首を叩きつけている。ちょうどボールをドリブルするみたいに。その拍子にガラスの目玉が割れた。
ぱり、とあっけない音だった。
「どうして、人は死にたいときに死ねないのでしょう」
眼孔にガラスの破片が溢れている首を玩ぶ子供に、男は呟いた。蚊の鳴くような声だった。泣きそうなのかもしれない。
子供はまた首を持ち上げて地面に投げた。機械的に叩きつけることを延々繰り返すから、マネキンは原形を崩し始めている。
ばき、今度は耳が欠けた。
「仕方ないよ。世界は、僕達だけに優しくはないから」
子供は、死んだ魚のようだとよく揶揄される黒い眼を男へ向けた。子供の言動はいよいよ化物染みて、その眼が鈍く光ったように見える。思わず男は肩を震わせた。
尚もマネキンを叩きつける子供はそれ以上言葉を続けることをせず、ただ男の次の行動を待った。
男は何かをするでもなく言うでもなく、項垂れてコンクリートの壁にもたれ掛かってしまった。
もうマネキンはほとんど砕けていたので、地面に転がしたまま放っておく。手持ち無沙汰で、座り込んでいた足を前へ投げ出した。ぶらぶら。寒いなあと口の中で呟いて、それでも子供は待った。
ちかちかと光る、蛍光灯が急かす。
子供もひんやりとしたコンクリートの壁に凭れ掛かって、アーチ型の天井を見上げた。当然のごとく空はそこになかった。 横へ視線を移せば、男はガーゼの貼られた左手首を見つめていた。そういえば今朝、死に損ないの臆病者の証だと笑っていたのを思い出した。そうしてゆっくりと子供が待ちわびた言葉を紡ぐ。
「……かえりましょうか」
「うん」
性分なのか彼は最後まで敬語だったなと、ぽつりと子供は思った。
壊れたマネキンの空洞な眼孔だけが二人を見ていた。
還る、返る、どこへ
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