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枕元にある電話が鳴った。
「ん」
真っ白なシーツと掛け布団から抜け出す決意に時間をかけて、やっと頭と手が出る頃には電話はとっくに切れていた。そりゃあそうだ。私だって、あれだけ待たされたら諦めるに違いない。手遅れだとは分かった上で、黙ってしまった受話器をとった。腹を上向きにして寝ていた羊を避けるのに少し苦労した。
「あー、だめか。切れてる」
受話器をそっと元に戻して布団の中に潜ってから、もう一度鳴らないものかと少し待ってはみたけれど。あれきり用事はなかったらしい。誰からの用事だったのか。フロントから、ではないだろうし。
(きっとジョースターさんだ)
伝え忘れた連絡事項があるだとか、そういう用件だったのだろう。集合時間の変更だったらやだなあ。もう少しゆっくりしたいのに。
まだ温かい布団の隙間にもぐってミノムシの真似事をした。寒いと羊が鳴いたけど、聞こえなかったふりをした。陸の上って本当にすてきだ。波に揺れないベッドとシーツは素晴らしい。何も言わずに頭からすっぽり包んでくれる布団の中ときたら。天国にしては薄暗い場所だと思うけど、たぶん天国もそう変わらないものなんじゃあないかとも、思ったり。まだ少し基準が狂っているだろうから、胸を張っては言えないけれど。
(あの偽物の船で嗅いだ、毛布のにおいに比べたら)
シャワーを浴びても、錆の臭いと気配が消えない。崩れる船のイメージから逃げる時に見てしまった、『ストレングス』の犠牲になった人たちの。毛布をかけてくれた人たちの。あの時そばに落ちていた、毛布に染まった色と柔らかい破片と。
おおお。
「よし」
跳ね除けた布団が羊を隠して、大きな山を作ってみせた。
「外だ、外。散歩に出ようよ、『迷い子羊』」
「げええ」と小言が聞こえる山の中から羊を掘り出す。美味しいものを食べに行きたい。こんなところで腐っているような私達じゃあ、この先やっていけないに違いないのだ。
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ナンバー916。シンガポールの小綺麗な通りに面した大きなホテルでジョースターさんから受け取った鍵のプレートには、確かにそう刻印されていた。部屋の番号だ。ベッドの広い、シングルルーム。一人でいるには広すぎる。
「だから、もう。謝ってるでしょ」
蹴られて痛む辺りを擦り、エレベーターが降りて来るのを待っていた。あれは私が悪かった。鍵を探してひどく手荒に羊を抱えて、毛束に腕を突っ込んだ。デリカシーが足りなかったらしい。骨は折れてなかった。
9階。羊がそっぽを向いたと同時にベルが鳴る。エレベーターの扉が開く。ぬっと体の大きな先客が急に現れたから、思わず足がすくんでしまった。
「いいのか。閉めるぞ」
羊が姿を消してしまって、ひとりになった私を見ながら空条はボタンを操作する。
「あ、待って。私も乗りたい」
ロビーまで、とお願いしたら、空条もそこで降りるらしい。かごの隙間に収まって、ゆっくり閉まる扉を眺めた。