犬笛


 狭い部屋から外を見ていた。中開きの窓から滑る風に読みかけていた本の途中が一枚二枚四枚六枚、そして仕舞いにはちきれんばかりの爆発音を伴って、文庫書籍はド派手に幕を閉じてみせ。一方虚を切る栞はどこぞの隅へと軽やかに降り、床材を多少削ってみせる。筒抜けも甚だしい通りの会話は平坦すぎて、かえってこちらに支障を来す。結果、耳栓は値段が張るほど良いものになると考え投資を重ねることになる。
 煙草を焦がす音、大いに喧しい雇い主兼同業の連れは早々に部屋から追い出した。頭がおかしくなるかと思った。強欲な私の加減を知らないスタンドだから、繊細な能力をしても、妥協をすれば巡り巡って自分自身の鼓膜もろとも木っ端微塵にしかねない。
 距離は目測600メートル。腕の立つ狙撃兵だけが許されるだろうこの位置からも、“私”の目には毛の束ひとつさえひどく鮮明に映えている。どうということはない。用を済ませている間、聴覚の加減という簡単な概念を放棄するだけでこんなにも素晴らしい力が備わるのだから、世間は大層不公平なつくりになっている。ともあれ、陽光を控えめに反射するこの長銃型の幽体は、照準器越しに人殺しごっこで日々食卓を賄う私の理解を軽々と超えた代物であることに寸分の狂いも間違いもない。視たい世界も聴きたい空気も自由自在に手に入る上、腹まで膨れてくれるのだからそれは何よりたのしい業界なのだと思考をやってみたことがある。
 さて刻限。視界を絞ってひとつの窓に見定めた。充満する埃のような雑音が消えた。どこまでも静寂。呼吸を留める。

『まどのそと』

 無音を食らった不自然な台詞に、切り貼りの跡が見て取れた。音源は標的脇に置かれた旧式テレビではあるが、奇妙なことにその画面、フラッシュバックするかのように番組が次々切り替わり続けているのだ。窓の外とはどういう意味だ。テレビがあれを言ったのか。ノイズが酷くて聞き取れない。霊銃を強く握り込む。聴覚が見る間に加速する。

『DIOの手先が見ている』

 まずいことになった。
 正体を悟ると同時に受けたのは、翻るカーテンの先、狙撃目標ジョースターの隣に佇み悠然と、真っ直ぐこちらを睨んでみせる青年、そして奴の精神体からの気迫である。
 冷や汗も出なかった。
 この瞬間に撃てば傷のひとつもやれるだろうか。仮に、連れの男の『皇帝』のように弾丸の行く手を変えることでもできたなら、あるいは。

(退こう)

 死角に身を隠しながら荷物をまとめた。私にはどうすることもできない。


 急な階段を駆けて日の下に出ると、追い立てたきり姿のなかった連れの男がバイクに跨り煙草を捨てる。

「よお」

 返す間もなく投げられたのはヘルメット。鞄を背にかけ指された位置に飛び乗ると、バイクはすぐに走り出す。外もバイクも、アツいったら。風に流れる男の愚痴を聞きながら、空いた指先で首の留め具を確かめた。



 単独行動は好まない。一人より二人。万一の不運で役に立つのは頼れる相棒と相場が決まっているのだ。俺の中では。

「こ」

 背後で息を吸い上げる音。

「こわかっ、た」

 扉が閉じて、娑婆の空気に浅い溜め息。若い“相棒”は屋敷の主人が苦手らしい。かく言う俺も気付けに一服、帽子を浮かせて緊張のやり場を探す肩身の狭い身分である。
 いつ来ても嫌な場所だ。一行を抹殺できるまで雇い主の邸宅に通い詰め、失敗の報告。運良く許しを得られても、引き換えにプレッシャーを与えられねばならない、など。なんて仕事だ。

「あの」

 若い女が頭を下げる。

「その。ごめんなさい。
 折角雇って頂いたのに。私が、失敗するなんて」
「いや、俺の方こそ。なんというか」

 俺と組め、と言った時。こいつはどんな顔をしていたか。年の割には成績の良い優等生と噂に聞いたが、チームプレーは得意分野に入るものではなかったようで。彼女自身も薄々感じていただろうか、それとも知り得なかったのか。定かではないが少なくとも、確定した事実に対する動揺の色は見て取れた。
 二択ある。もう一度やるか、もしくはこいつに暇をやるか。

「撃つ直前に声がして、見つかったって言ってたな」
「あ、はい。何故だかその、声はテレビから」
「言い忘れてたが、あいつら全員スタンド使いだ」
「えっ」
「それからあの時見つかったのはな。
 お前じゃなくて、偵察してた俺だった」

 呆気にとられた女を余所に、路肩のバイクへ手をかける。シートを叩くと腑に落ちないながらも寄って来る。
 いい子だ。

「お前、名前は?」
「……ナマエです」
「飯行くぞ」
「今からですか」
「仕切り直しってことで、ひとつ頼むわ」

 思えば俺は、この真新しい相棒に何も教えていないし、知らないことが多すぎやしないか。ナンバーワンには未だ遠いが、才能がある。知らないままにして手放すのは余りにも惜しい、気がした。







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