25


 きっと過剰に生臭く、かつドス黒いトマトケチャップや新鮮なレバーが飛び交うのだろうスリリングな人生のようなものとは疎遠に過ごしてきた。疎遠どころか。間違いなく無縁のはずだった。なのに。思い出す度にせり上がるものが、よりによって、見てしまった、瞬間を。“ある不幸な船員A”はついさっき私がぶつかって、二言三言の会話を交わしたその人だった。死んだ。目の前でころされた。やめろ。吐く。は。

(吐くな!)

 額を通して伝わる閉じた扉の冷たい錆に思考を溶かして食いしばっていた歯の隙間から空気を抜くと、とても自分のそれとは思えないような鈍い唸りが消えて出た。擦れた皮が痛んだ。けれど、おかげでいくらか気は紛れた。そこではじめて、あの女の子が佇んでいることに気付く。ひどい醜態を見せるところだった。とっくに見せていた。雨のように散った鉄の臭いにまみれる私はあの場で何かしらを喚いたのか、喚かなかったのか。

「あんたも、あいつらの仲間なの」
「んん。うむ……そう、そうだね。そうだよ」

 おでこを擦った辺りに背中をもたせて溜め息をついた。扉を隔てた向こう側では二手に分かれて調査のひとつも始まっているに違いない。死体の処理が済むまで出て来るなとここに放り込まれてはや、何分だ。時間を見ていなかったばっかりに、世の流れから置いてけぼりになっている。

「リンゴ」

 唐突に女の子は言った。

「くれるの?」

 会話の相手は私以外の誰かだった。部屋の一角、あの子の向いている側に目をやると、古びた立派なコンテナが……いや違う。
 檻だ。

(なるほど)

 どうやらここはさっきの話に聞いたばかりの部屋らしい。ということは、あれが噂のオランウータン。想像していたものより若干、もとい、だいぶ大きい。こうして見る限り態度も大きい。あ、あ。わああ。煙草まで!

「あ……あんた。ずいぶん頭のいいサルなのね」

 たいへん申し訳ないのだけれど、頭が良かろうとどうだろうと、その、サルはサルなのだ。部屋の中ほどに漂う副流煙を避けたくて、ほんの少しだけ移動する。煙草の煙を心底憎んでいるわけじゃあない。例えば空条が吸う煙草なら、こんなに気合いを入れて逃げようだなんて思わないのに。
 そんなことを考えているうちに、あれは藁束の中から雑誌を取り出しぺらぺらと捲る。折り込みを開く。「人間の女の子のピンナップなんか見て」と女の子が話しかけたところで、あれに対する言いようのない嫌悪感の正体が掴めた。
 ような気がしたところで、もたれかかっていた扉が開いた。何もかも全部うやむやになった。

「おい!気をつけろ!」

 気をつけていなかった私は頭を強打した。悶えているうちに話がついて、結局名前も聞けないまま、女の子は船員さん達に引き取られることになった。どうやら話がこじれたようで、同じ扱いになった私も有無を言えずに連行される手筈になっていた。
 後ろをついてドナドナを吹く、小粋な羊の口笛が憎い。







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