20


 「まさか、ナマエにも

 花京院の言葉が不意に途切れた。後は船底の軋むような、こめかみを削り取るような振動ばかりに埋もれて、なにも。

(“私にも”……なんだろう)

 台詞にはきっと続きがあったはずだ。言われなくても分かる、ような気はするけれど。うまく考えがまとまらない。思考の奥まで侵食されて、見ていた景色も閉じた瞼の黒もなにもかもがとんでもなく混ざって、ぐちゃぐちゃになっていく。
 たべられていく?

「……う、」

 ますます酷くなる頭の痛みにあらぬ妄想が重なって、吐き気を覚えた私は甲板から身を乗り出した。気付いた時には身体が宙に浮いていた。

「わ」
「――!」

 揺れる内臓の違和感に息が止まって、衝撃と水飛沫が他人事みたいだと思った。フラッシュをたかれたような光と泡がはじけたその先には、どこまでも続く青色がある。海水がおでこに滲みるけれど、頭が冷やされたお陰で痛みは若干和らいだ。綺麗な魚とか、ここにはいないんだろうか。視界にかかる髪をかきあげようとした指先が、カツンと固い何かを叩いた。

(ゴーグルだ)

 便利だなあ、とガラスの向こうを漂う羊に感謝する。ところで、あんたも落ちたのね。ウールは濡れると重いんでしょう、なんて無駄口を叩こうか悩んで、やめた。よく考えたら私のスタンドなんだから一緒に落ちて当然だ。あまりに“らしくない”ものだから、つい。

(さすがにこの見た目はスタンドにしか)

 羊の頭部に広がったフジツボは出来の悪いヘルメットのようにも見える。いつもの倍ほど深くなった眉間のシワと相まって、ちょっと面白い。

(あー。ごめん、ごめんって!)

 聞こえてるぞ、と言わんばかりに後ろ足で水を蹴られた。いつもは蹄を鳴らして怒るけれど、水中だとそうもいかない。暴れる度に舞った毛が、くるりと回って沈んでいく。おかしいな。さっきまで緩やかだった潮の流れが、なんだか速くなっているような――

「ごふ」

 制服の襟を強く引かれ、なけなしの空気が泡になる。背後から現れた大きな手は、私が爪を立てるのも無視して鼻と口とを丸ごと塞いだ。これじゃあ、息が。

「もが」
『落ち着け』
「む」

 あれ、知ってる声だ。

『スタンド同士でなら会話ができる』
『えっと……こうですか、空条くん』
『ああ』

 口を塞がれたまま水面を仰ぐと、こちらを見下ろす空条がコツコツとお揃いのゴーグルをつついた。

『それ、いつの間に』
『ずいぶんと便利なモンだ』
『私もそう思う』
『お陰でヤツの姿がよぉーく見えるぜ』
『ヤツって。
 あ。あんた、さっきの』

 『御名答!』と答えてニセ船長が笑った。倒したものだと思っていたけれど、どうも詰めが甘かったらしい。

『ナマエ。好きな魚料理を言ってみな』
『えっ。急に言われても』
『刺身とか、カマボコとかよ。何でもあるだろ。
 今ならリクエストを聞いてやるぜ』
『ずいぶんと強がっとるがねぇ、“おにいちゃん”』

 海流は巡り巡って大きな渦に変わっていた。流れを速める『暗青の月』の両腕から、なにか剥がれ落ちているようにも見える、けれど。

『そこの“お嬢ちゃん”の息はそう保たないんじゃあないかね?』

 ああ、やっぱりバレている。こんなことなら息継ぎしておけば良かったな。

『あの。そういうことだから、空条。私のことは』
『1分だ』
『え』
『堪えろ』

 『考えがある』と口を塞ぐ力が強まった直後、目の前が赤く染まる。

『空条、血が――』
『大丈夫だ。この程度で暴れんな』

 光ったあれは、ウロコだ。大量のウロコが渦に乗って、空条と『白金の星』を切り刻んでいるんだ。どうしよう。ここからビー玉を撃っても、海流できっと逸れてしまう。他になにか、できることは。

『おにいちゃん。てめーが何を考えているか当ててやろう』

 渦とウロコの中心で、ニセ船長は大仰な仕草で話す。

『“渦には一点だけ動かない部分がある”
 ククク……ありふれてるね――
 “それは中心だ”
 “ヤツのいる中心に飛び込めば攻撃できる”
 ヒヒヒ……そう考えてるなァ……』

 数十枚目のウロコで手首を切りそうになり、私は慌てて腕を引っ込めた。ウロコは水中に漂う羊毛を引っ掛けたまま、遠ざかっていく。あれは『迷い子羊』のものだった、はず。

(あれで何かできるかな)


『さっきのような自慢のパンチを、俺に浴びせられる自信があるなら向かってきな』

 ウロコはますます増えていく。本当にできるかどうか試してみたかったけれど、

『フジツボに力を吸い取られ……ろくすっぽ水もかけないスタンドで――』

 僅かな指の隙間から最後の空気が出て行った。時間がない、全部使おう。一発勝負だ。

『この水中カッターより鋭い攻撃が繰り出せるっつーならよォォーー!』
『“迷い子羊”!』

 フジツボまみれの羊が全身を揺らすと、辺りは雲を撒き散らしたように白くなる。すぐに渦へと巻かれていった羊毛を無数のウロコが突き抜けて、丸坊主の羊を切り刻む。が。

『や、やった……』

 痛くない。ゴーグルに当たって跳ね返ったウロコも、別のウロコも全部、表面につるんとガラスがコーティングされている。
 よかった。これで水中カッターは無力化できた。

『派手にやってくれるじゃあねーか』
『どうも、どうも。それじゃあ、あの――』



 『後は宜しくお願いします』って、ちゃんと空条に言えただろうか。






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