16
「なあナマエ」
元の制服に着替えて乗り込んだカイロ行きのチャーター船。初めての貸し切り状態が珍しく、ウロウロ歩き回っていた私を呼び止めたのはポルナレフだった。
「何?」
「それ、タイツか何かか?
……ちょっとはみ出てるやつ」
「えっ、出てる? どこ?」
裾やお尻を確認しても変わったところは見当たらない。スカートを少し持ち上げて履いている黒タイツ、ついでに伝線もチェックする。
「いや、ナマエじゃなくて」
「そっち」と指されたのは羊の方。言われてみれば足が一本多い。生地の薄いそれを引っ張ると、見覚えのあるウサギのしっぽに繋がった。
「ああ、バニースーツ」
どうにも収拾がつかないから一旦出してしまおう。二度と着ないと思うけど、変なシワがつくのはちょっとね。
「バニースーツ? 何でお前が」
「お給料代わりに貰ってきた。
――こら、逃げないの!」
気に入らないのか距離をとり始めた羊を捕まえて、毛の塊に畳んだスーツを押し込んだ。便利だなあ、無尽蔵に出し入れ出来るって。かさばる衣類を収納すれば、荷物が減って非常に助かる。これで態度の悪ささえなければ最高なんだけど。
「ナマエのバニー姿か……」
「勝手に想像しないでよ」
「別に良いだろ」
海のシルクロードを進むここからの旅路。本人の強い希望でポルナレフの同行が決まり、船は滑るように港を発った。
年が離れている割に話しやすい彼の性格は、洗脳が解けた後も変わらなかったけど。
「なあ、もう一回バニーガールやってみねえ? 俺専属のさー!」
「いや!」
芽と一緒になにか紳士的な要素も抜けたんじゃあないだろうか。酒場の酔っ払い顔負けのセクハラ発言を腰に伸びる手と一緒に引き剥がし、我ながらひどく情けない声で助けを呼ぶ。
「……ポルナレフ」
見かねたアヴドゥルさんが咳払いをひとつ。
「少し顔を貸してもらおうか」
「あ、ちょ! イイトコだったのに!」
“持って行かれる”とはまさにこのことか。引きずられてくポルナレフが物陰に見えなくなると、すぐにお説教が始まった。いい気味!
「――なんか、お父さんみたいね」
「誰が?」
「アヴドゥルさんが」
「へえ」
そうかな、と花京院は首を傾げた。あれ、もしかして私だけだろうか。
「まあ、僕らと比べればかなり年長だし……ナマエは女の子だから、特にそう思うんじゃあないかな」
「あー、つまり」
気を遣われているのか。だとしたら申し訳ないな、私みたいなヒヨッ子に。
「気にすることはないよ」
それが普通さ、と頭を撫でられた。
「ねえ、ところでナマエ。
――それ」
掬い上げられた毛束は耳の後ろへ。
「つけてくれたんだ」
「ああ、これ」
こめかみ上部。指先に触れたのは、玉虫色の装飾が綺麗な一対の髪留め。
「花京院から、だったの」
制服と一緒に入っていたから、お姉さんからだと。
「驚かせてごめん。
先に一言言っておけば良かったんだけど……喜んで貰えるか、自信がなくて」
「そんなことないよ。私こそ、気付かなくて」
慌てて首を振る私がおかしかったのか、花京院はくすりと笑った。
「すごく似合ってる。可愛らしいよ」
「あ。ありがと――うわ、熱っ」
海上にそぐわない熱気とジョースターさんの悲鳴が潮風に混ざる。お説教がどう転じたのか、向こうのやり取りは既に口論の域を越えているようだ。
「……止めてくるよ」
「えっと、お願いしてもいい?」
花京院を見送ってふと思い出す。彼がここにいるってことは、夢とロマンのデッキチェアに座るチャンスが巡って来たのでは。
「やっぱり!」
ふたつ置かれた片方が空いていた。読みかけの本には退いていただいて。
「おお……ブラボー」
船上補正を差し引いてもこの座り心地、絶妙な角度! 私の部屋にも是非欲しいんだけど、いくらするのかしら。
「……ミョウジか」
隣で寝ていた空条が学帽を持ち上げて、ちらりとこちらを見やる。
「あ、ごめん。寝てた?」
「いや」
帽子はまた元に戻された。いいなあ、日除け。風で飛びそうだけど。
「見ないの? せっかくの景色なのに」
「てめーはどうなんだ」
「私は、は」
欠伸を噛み殺す。
「……飽きちゃったから休憩」
「そうか」
会話はそこで終わった。話題を出すべきか止めるべきか悩んで、さっきシャッター係になりかけた話を振ったら怒るだろうな、とか考えているうちに瞼はどんどん重くなって、ふっと目の前が暗くなったところで私の意識は途切れた。
空条の制服と同じ煙草の匂いがした。