そらねむりひめ


 ぼくは彼女の寝顔を見たことがなかった。それに、彼女に膝枕をしてあげる予定もなかった。ちりひとつ無いホテルの部屋のソファに乗って、買ったばかりの写真集を気晴らしのつもりで眺めていたら、ナマエの方からやってきたのだ。クッションならそこにあるじゃあないか、とぼくが言うのも聞かずにごろりと彼女は横になり、枕にしては少し固いと文句を言って目を閉じた。ナマエはいつもそうだった。
 静かに肩が上下して、頬にこぼれた綺麗な髪はくうくうと微かな寝息がかかって揺れている。いかがわしいものを見ているつもりなんてないのにどこか目のやり場に困る気がして、ぼくは今度こそ本当に気晴らしのために、写真集のページを捲ることにした。
 霧のある風景写真があった。世界はぼくが思うより広いから、霧の形のスタンド使いも存在する。かもしれない。

(だとしたら、なんて手ごわいことだろう)

 気体使いがいかに有能か、ぼくたちは良く知っている。




 ナマエは器用な女だ。たとえ水中に放り込まれてもスタンドの力で酸素を集めて地上と変わらず過ごしてみせるし、瓶の蓋だってひとりで開けられる。放っておいても自力で生きていけるのだろう。ひどく気だるげに欠伸を噛み締める日頃の様子とは似ても似つかないように思えるが、結局ナマエはどういった人物であるのだろう。ああ見えて繊細な力を使うのだから、いい加減なフリをしているだけではないだろうか。あるいは、そもそも。おれ自身が単にナマエという女を、レッテルのようなもので簀巻きにしているだけかもしれない。おれは後者であると思う。

「なんだい、居たのか」

 白いソファの背もたれ越しに、花京院がこちらへ振り返る。

「そんなに難しい顔をして」
「てめー、ナマエに密着しすぎだろ」
「そうかなあ」
「離れろ」
「無理だよ。起こしたら可哀相だろう。
 それに、きっとスゴイよ。寝起きのナマエは」
「あいつ、低血圧だったのか」
「さあ。ぼくは見たことがないから」

 うーん、とナマエが一声唸って、寝返りをうつように体をもぞもぞ動かした。居心地が良いのか、膝の上から退く気配はない。




 私が承太郎や花京院と一緒に旅行に行くことで、世界が滅ぶ訳じゃあない。つまりこの程度の事実は、世間においては“どうということもない”ことに分類されるのだ。何も心配はいらないし、仮にこの件を知った神経質かもしれない誰かが面倒な嫉妬に狂って誰を罵ろうが、私の知ったことではないのだ。快適だ。全くすばらしいことだ。
 ソファの端に寄せられた冊子の中身が気になって、眠気はとっくに吹き飛んでいた。もっと言えば、花京院典明の膝上は、枕には向いていなかった。ああ見えて意外に筋肉質なモモ肉を使うくらいなら、はじめからクッションを拾って来ればよかった。かもしれない。どうせ私がそんな真似をするはずがないのだ。考えるだけ無駄なこと。

(髪の毛を弄られる感覚がとてもくすぐったい)

 手頃なおもちゃにされている。承太郎と珍しくつまらない雑談をする花京院は、私の前髪を使って小さな三つ編みを作るつもりらしい。そろそろ起きたくなってきた。おもちゃになるのは不本意だ。

「ナマエが、こんな顔をして眠るだなんて。ぼくは全然知らなかった」
「奇遇だな。おれもそうだ」

 永遠に知らなくて良いことだ。さぞ阿呆面に違いない。

「承太郎。ぼくはひとつ、思うのだけど」

 三つ編みになってしまったらしい一房が、額の上に落ちてきた。ほほう、と承太郎の相槌を聞く。
 手のひらが瞼を滑る感触があると思った、直後。ゆっくりと両のほっぺたをつねられた。

「ナマエ。きみ、起きてるだろう」
「起きてない」
「やっぱりそうだ」

 そのまま少々、頬肉で遊ばれる。

「降りてほしいな。ぼくは疲れた」
「やだよ、あと五分だけ」
「お前の五分は基準にならねえ」
「もふ」

 承太郎に投げつけられたクッションで膝枕ごと埋もれた私の身を起こし、あーあと笑った花京院の顔に、第二投。

「よくもやったな」

 どちらともなく声をあげ、武器をとるようにクッションを掴んだ。










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