円卓の戦車と
ポップス・アレンジの名曲、厳ついバネの軋む音が気だるい頭に響く。生ぬるくなったゲル状の保冷剤を置き、緩く放られるボトルを受けた。
「……ハイ、どうもご苦労様でした」
よく冷えたそれを開栓してから、座れるように場所を詰める。
「はー……ナマエ、そろそろさ」
ジム名入りの長椅子にどかりと腰掛け、汗を拭ったポルナレフは乳酸の溜まった腕を振る。
「解放してくれても良いんじゃねーか?」
「ハンデを?」
「そ」
数週間前から始めた腕立て伏せ対決。制限時間は一分間。両手の私、片腕縛りの彼。それでも当初は負けてばかりで、二人分のジュース代がお財布に与えるダメージの多さといったら。
「良い勝負になってきたし、もう十分だろ」
「そうね」
考えとくわ、とボトルをあおった。かなりキツいけど、勝てないことはないのだ――ハードルは高めの設定に限る。
「あ、チャリオッツ」
随分ヒーローの名前を連呼する番組だと思ったら、『HERO TV』の再放送か。トレーニングルームのモニタに映る銀の甲冑姿を眺めていると、隣に座る中の人に「あんまり見んなよ」と怒られた。オフでは目立ちたがりのくせに、へんなの。
「こないだ教えてくれた新ヒーローの話だけどさあ」
「おう」
「会社からは何の通達もないんだよね」
「マジ?
おっかしーな……ナマエの所属会社から、ってのは間違いねーハズなんだけど」
中途半端なリークほど怖いものはない。特に今回の件なんて……やっぱり旧ヒーローはお払い箱になるんだろうか。
「まさか」
「別にいいよ、この際」
ヒーローをやめたら晴れて私も“一般女子大生”をやってけるようになるわけか――全く想像できない。
「い、今まで張り合ってくれてありがと。……楽しかったよ」
「おいおいまだそうと決まった訳じゃ。元気出せって! な?
……あ、あーそうだ!」
そういえば、と振られた話題は先日の出来事。
「結局どうなったんだ?
例の“ダンマクゴッコ”」
「ああ……途中までしか話してなかったっけ」
思い起こすのは密室戦線。撃ち合いから確保までの一連は全て大型倉庫で消化され、放送終了5秒前。ようやく割れ窓からの撮影に成功したカメラが映したのは、犯人そっちのけで言い争うヒーロー2人の姿だったらしい。(この件については多方面からこっぴどく叱られた)
「ま、何となく予想はつくけどな」
「……よくよく考えたら、ガラスが鉄に勝てる訳ないのよね」
よく考えなくてもそうだ。
戦いは避けられなかったにせよ、ハイエロファントグリーンの話に乗ったのは失敗だった。
「それにしたってあれはアツくなりすぎだろ。生理か?」
失礼な。
「しょうがなかったの。
だいたい花京院が悪いのよ。いくら罰ゲームだからってちゅーしろだなんッ」
足の上に水筒が落ちてきた。
「い、……ああ……」
2L大容量が自分の手から消えた事実も鈍痛にのたうち回る私の声にならない罵倒もどこへやら。茹でダコみたいに真っ赤になったポルナレフはうずくまる私の肩を掴んで前後に揺らす、揺らす。
「まさかお前……そのままコトに及んだんじゃ!」
「お、及んでない! 及んでな――うぷ」
閉口。せり上がるスポーツドリンクを疲れた体に押し戻す。頭がくらくらするけど、セーフ。なんとかやり過ごせた。
**
閑散としたスポーツジム。ウエアに着替えてくぐった自動ドアの向こうには、僕がよく知る2人の姿。
「ナマエ? それにポルナレフも」
「あー……花京院」
「休憩中? なんだかナマエ、あまり顔色が良くないみ、」
一歩、踏み出した瞬間に胸倉を掴まれた。
「きたねーぞ花京院! 事件のどさくさに紛れてナマエに……俺のナマエにッ!」
私は物じゃない、とナマエのか細い反論。
かっと頬が熱くなった。ああ、少なくとも僕には心当たりがある。
「そ、そのことなんだけど……本当にごめん。
ナマエの気持ちを無視して、僕は――痛ッ!」
拳骨。
「抜け駆けしやがって!
俺だって――俺だってなァ!」
「うわ、ちょ。ちょっと!」
誤解だ、と二発目を捕らえた僕は、あろうことか地雷を踏みつける。
「確かに、き……キス、の要求はし、うわッ」
“チャリオッツ”の籠手を纏った三発目が空を斬る。
まずい、本気だ。
「だ。だから、あれは“未遂”なんだッ!」
「――え?」
戦車の一撃は眼前で静止した。
「未遂?」
「あ、ああ。
……彼女は消えたんだ、あの時。僕の前から一瞬で。
ちょうど、あんな風に」
指差す先で倒れた飲みかけのボトル。転がる水筒、置き去りにされた携帯電話。
「……ナマエは?」
「さあ」
僕が聞きたいくらいだよ、と肩を竦めた。
(メリーさんの消失)