人は誰しも夢を見る。暗い無意識の境界線上に浮かんで消える心像とは果たして何を示すのか。ああいったものは何時如何なる時であっても、穏やかなもので、あるべきなのに。

「……は、」

 質の良いホテルの暖房も、洗面台の奥底までは届かない。肌寒さとなにか得体の知れない不安なものへの恐怖から自分自身を守るように抱き締める、この両腕の頼りなさときたら。
 顔を洗ってもう一度ベッドに戻ったら、こんなこと、全て忘れてしまおう。旅はまだこれからも続くのだから、少しでも。身体を休めておかないと。熱いのか冷たいのかさえ曖昧な水で頬を叩いて顔を上げると、鏡越しの背後の暗さにこちらを見詰める二つの目がある。息が止まる。

「ナマエ?」
「か、きょういん」

 大丈夫かい、と問う声は紛れもない同室の仲間のそれだった。ああ。跳ね上がっていた動悸が治まって、頭の芯まで冷え込むようだった体温もやがてじりじりと元の通りに動き出す。

「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ」
「え、えっと。……私こそ。
 あの、ごめんね。トイレでしょ? もう済んだから、それじゃあ」
「待って」

 ベッドに戻ろうとした早足が止まる。捕まった。「そうじゃなくて」と花京院はどこかばつが悪そうに、それでも掴んだ手は離さずに、続ける。

「何か、あったのかと。……その。君、泣いてるように見えたから」
「そんなこと」
「嘘。だって、ほら」

 洗面所の扉の隙間を縫う、スイッチを入れたままだった明かりの下へと強く引かれる。長い睫毛がぐっと近くに寄せられて、思わず閉じた両の瞼はそっとなぞられた。

「腫れてるじゃないか」
「怖い夢を、見ただけだから」

 言葉にすると馬鹿さ加減が増すものだ。たかが夢なのに、子供じゃあ、ないんだから。それでも白状した私を静かに見つめたまま、花京院は口を開く。

「どんな?」
「覚えてないけれど。なにか怖くて、とても不安になるような」
「可哀想に」

 ぎゅうっと身体を包まれる。先程の自分のそれとは違う、溢れそうな安堵感に溜め息が零れた。

「もう大丈夫。ぼくがついてる」

 かきあげられた前髪の先に微かなリップ音が鳴った、ような。

「眠れるかい?」
「わからない」
「手を握っていようか」
「それだけじゃあ、」

 「足りないよ」とまで、言い切ってしまった。途端に力が強まって、密着していた肌の温度が跳ね上がる。背中を撫でる手のひらが熱い。

「そうやって、ぼくを誘って。人肌恋しくなったのかい?
 それとも」

 シーツが冷たい。

「なにもかも、忘れてしまいたいのかな」




(つくされる)






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