箝口令
片手しか動かせないくせに、きつく巻こうと力を入れたのは失敗だった。真一文字に裂けた手首の傷が口を開き、溢れる赤は包帯の白にぱたりぱたりと降り注ぐ。皮膚を伝わりシャツに半球を作って滲むように消える。こぼれてしまったのは数滴か、黒の布地は確かめることを許さない。
まるでリストカットでもしたみたいだ――生憎そんな趣味はないが。向ける刃なんて言葉のそれだけで、十分。ところで両手が塞がって包帯が巻けなくなったのだけど、どうしよう。
「あー、もう」
不機嫌そうな声、軋んだスプリング。カーペットを靴が擦れて数歩、私を乗せたソファの前へ。
「貸せよ。ほら」
どっこいせ、と。オジサンみたいな台詞に突っ込むべきか。悩む私とガーゼの束とを切り分ける、耳障りの良いハサミの音。
「……なにか」
会話をした方がいいかしら。時折押さえた傷を見る、操る刃先はさくさくと。
「なにが」
投げ返された呟きには、苛立ち。
「なんでも」
「言えよ」
何でもないったらないのだ。なのに、どこまでも刺々しいこの空気。ガーゼは丁度良い大きさになっていて、胡座をかいた膝の上。「消毒は」と聞かれて首を振ると、ハサミを置く手が救急箱へ。そうか、分かった。
「どうして黙ってるの」
J=P・ポルナレフ。勝手ながら彼のイメージといえば飛び交う軽口、くだらないジョーク。道理で違和感を感じるわけだ。ここにはなにもない。
「怒ってるみたい」
「……お前さあ」
ほとんど空の容器を振る、彼によく似た誰かさん。分かれよ、と諭すような台詞はひどく不似合いだと思う。
「いた!」
形だけ塞がった傷の隙間に消毒薬。鼻をつく気化したエタノール。
「仲間に、それも大事な女に庇われて。平気でいられる奴なんているかよ」
粗く巻かれる包帯。両端を結び合わせた手のひらは、私の頬をつまむ。
「俺のことなんてほっとけばいいだろ。
――どいつもこいつも。何、考えてんだ。俺なんかのために」
彼の意識は先日の。脳裏に浮かぶ血溜まり。弾丸の軌道。そりゃあ、あんなの。気にするに決まってる。
「ナマエ」
頬から離れた体温は両肩へ。
「側に」
「いるよ」
ひたり、冷たかったらごめんなさい。不安げな表情を両手で包む。縋るような視線。求められるまま腕の中へ収まる。呼ばれた数だけ返事をして、震える背中をさする。
「大丈夫だから」
息の詰まりそうな声音には気付かないフリをした。
(ごめんね)