たべました
薄々分かってはいたけれど、やっぱり世界に夢や希望なんてなかった。絶望しかなかった。普通に平和に生きたいだけの高校生が頭を抱えるだなんてどうかしてる現実がここにあるわけだ。
一言でまとめよう。
「いはい」
それからだいぶ間を開けて、「位牌?」と聞き返されたので全力で首を振る。それはまだいらない。左右にシェイクされた意識と視界にひっくり返りそうな気がしたけれど、そんなことはなかった。今の五感のアテにならないことといったら。これもしも倒れてたら明日の朝刊に載ったのかな。
『女子高生、歯医者帰りに昏倒』
字面悪いなあ。
「歯が痛いよ承太郎」
「ちゃんと喋れんじゃねーか」
「しつれいな」
私が先の一言にどれだけ集中したのか知らないからそんなこと言えるんだ。
「大体ね、じょうたろーが悪いのよ」
麻酔でうまく回らない口には、発音が複雑すぎる。「いっそJOJOと呼んでやろうか」と正確に罵倒したら、あからさまに嫌そうな顔をされた。
「てめー。ナマエ」
むんずと顎を掴まれる。きっとタップ推奨の威力なんだろうけど、残念だったわね。麻酔の効果でなんにも感じないのよ。
「随分な言いようじゃねぇか。
それが人にモノを頼んだ奴の態度か?」
「あ」
しまった、“お願い”したのは私の方だ。
「“歯医者が怖いから付き添ってくれ”……だったよなァ?」
「あまりの痛みに忘れてまして」
感覚のないまま『えがお』を実行。舌っ足らずな言葉みたいに、不自然じゃないといいけれど。
「おら、謝れ」
ゴムみたいなほっぺをぐにぐに潰される。なんて扱いだ。仕方ないから今日は下手に出るけど、麻酔が切れたら覚えてなさいよ。
「……すいませんでし 」
あれ、一音足りない。
ちゃんと謝ったのに。どこへ消えてしまったんだろう。
「承太郎。
“た”、知らない?」
「……」
黙って背を向けられた。呼びかけようとして気付くのは、鼻を抜けてく煙草の香り。
薬品くせぇ、と承太郎が呟いた。
よりによって今だなんて。
「……ずるいよ承太郎」
そういうのはせめて、唇の感覚が戻ってからにしてください。
(ああでもきっと卒倒してしまう)