どんな服を着て行くべきなのか、夜遅くまで悩みに悩んで決めた裾の長いワンピースに、いつもより少しヒールのあるパンプスを履いた私を一目見て、彼は「今日は一段と綺麗ですね」と言って微笑んだ。今時そんなストレートな褒め言葉を使うような知り合いは私の周りにはいないため、どうしても顔が熱くなってしまう。カジュアルなスーツに身を包んだ彼の方がよっぽど美しいのだから、尚更。言われ慣れた賛辞だろうと分かってはいたが、「バーナビーさんも、スーツがとてもお似合いです」と返した。私がそんな台詞を口に出来るようになったのは、いつも臆面もなく恥ずかしいことを言ってくる彼に感化されたからだと思う。こんなありきたりな誉め言葉、彼のような立場にあっては言われ慣れているだろうに、「ありがとうございます」とはにかむ彼の表情は少し照れているようにも見えた。
 初めて乗る彼の車は真っ直ぐにゴールドステージへの道を走り、そうかからないうちにドアマンのいる一戸建てのレストランへと到着した。建物の中は見た目ほど堅苦しくもなく、優しいウェイターさんたちが丁寧にもてなしてくれる。一流のサービスとはこういうものかと、しみじみと感じた。

◇◇◇

 完璧でさり気ないエスコートと食べたこともないくらい美味しい食事、すぐ近くには素敵な笑顔。───そんなお姫様みたいな時間はあっという間で、お店を出て、車に乗り、家まで送りますねと言う彼に大体の住所を告げる。助手席から横目に見るバーナビーさんは、口元に緩やかな笑みを浮かべながらハンドルを握っていて、なんというか、そう、格好いい。

「…そんなに熱い視線を向けられたら、運転に集中出来ません」
「えっ、あ、」

 前を向いたまま、可笑しそうにそう言うバーナビーさんに、私は咄嗟に目を逸らす。言われた通り、確かに気づけば彼のことをずっと見ていたような気がする。恥ずかしい。彼は言うまでもなく大人で、何もかもを余裕でこなしてしまうようなところがあって、こうして側にいると自分の子どもっぽさばかりが気になってしまう。今夜は特に雰囲気にあてられて、エスコート慣れした彼の仕草が一際洗練されて見えたものだから、余計に。
 熱い頬を隠すように手をあてると自分の心臓の音がやけに煩く感じられた。それを誤魔化すように「あの、」と口を開く。彼の前で大人ぶろうと無理に背伸びをしたって仕方がない。そんなことで追い付けるような差ではないのだ。だからこそ今日は、出来うる限り素直に、思ったことを伝えようと私は決意していた。

「…今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「…すごく美味しかったし、…楽しかったです」
「それは良かった。僕もとても楽しかったですよ」
「その、もう、帰るのが勿体ないくらいで…」
「───…ハルさん」

 素直に、という免罪符を掲げたお礼の言葉は、バーナビーさんに呼ばれた名前で不意に遮られることになった。声の様子がなんだかいつもと違う気がして彼の方を見ても、彼は相変わらず前を向いたままで、表情は読めない。夜の街灯を横から浴びて浮かび上がる陰影は、まるで芸術品のようだ、と思う。
 歳上の男性が運転する車の助手席に乗るというだけで緊張するのだということを、きっと彼は知らないだろう。彼の少し低い声で名前を呼ばれるだけで、未だに私の心臓はどきどきと脈打ってしまうのだということを、きっと彼は知らないだろう。そんな今はどうでもいいようなことを考えながら私はとりあえず、はい、と返事をして彼の言葉の続きを待った。

「…昨日も言いましたけど、」

 そこで言葉を止めたバーナビーさんに首を傾げる、と同時に、きっ、と小さな音を立てて車が止まった。窓の外に目を凝らせば、すぐに見慣れた公園が見えた。私の住んでいるマンションの裏にある公園だ。ああ、もう家に着いてしまったのか。そう思ったところで、頬に長い指が触れた。何か言いたいような気がするのに、頭も喉も機能しない。エメラルドグリーンの瞳が、いつもよりも深い色をしているように見える。

「…あんまり可愛いことは、言わない方がいいですよ」

 吸い寄せられるように近付いてくる綺麗な顔に、思わず息を飲んだ。それは、いつもの穏やかな笑みではなかった。いつもの、ただ優しいだけの声色でもなかった。射抜くような瞳と微かに開いた唇に、目の前にいるのが急に知らない男の人のように怖くなって、私はぎゅっと目蓋を閉じる。彼が大人の男性なのだということくらい分かっていたはずなのに、なんて今さらな話だろう。はじめはあんなに警戒していたのに、いつの間にか気を許していたのかもしれない。こんな逃げ場のない密室に、彼と二人きりなのだということを自覚した途端、先程までのふわふわとした温かな心地良さが泡のように消えていった。
 攫ってしまいたくなりますから、と囁く低音が、耳のすぐ側で響く。そのまま耳朶にキスをされて、びくりと大袈裟なくらい身体が跳ねる。肌に触れる彼の吐息はくすぐったくて、熱かった。


20190223
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