バーナビー・ブルックスJr.という一人の男性について私が知っていることなんて、はっきり言ってほとんどない。そもそも、ヒーローTVをしっかりと見るようになったのも雑誌で彼のページを注意深く読むようになったのも、彼がお店に来るようになってからのことだし、圧倒的に情報不足なのだ。この街のヒーローであること、私よりはいくつか年上であること、そしてちょっと強引なところがあること、甘いものが好きだろうってこと。ちょっと時間をかけて調べればもっと分かることもあるんだろう。身長とか体重とか、正確な年齢とか、好みの女性のタイプ、とか───でもきっとその程度が限界で、結局個人的な付き合いをするのに役立つことは何もない。彼のことを本当に「知っている」と言うに足るようなことはやはり、直接関わらなければ知り得ないのだ。

「いえ、ワイルドタイガーとはコンビを組んで初めて知り合ったんですよ」
「へええ。それなのに、あんなに息ぴったりなんて、すごいですね」
「はは、そんなふうに見えているならまあ、良かった」

 バイト先から歩いて数分の場所にある紅茶専門店で、私はそんなほぼ何も知らないといっていい男性と、少し遅めのティータイムを過ごしていた。完全な成り行きとはいえ、よく考えればこれはこれでかなり危ないことのような気がする。まあ、顔の知られたヒーローだし、そんな悪いことはできない、いやしないと思うけれど、年頃の女の子としては十分危険を伴う大胆な行動だろう。
 ワイルドタイガーとコンビを組むに至った成り行きや、出動がないときのこと、他のヒーローとの関係、最近はまっていることなど、私の取り留めのない質問にもバーナビーさんはにこやかに答えてくれた。彼の変装がいつ見つかってしまうのかとどぎまぎしつつ、私は少しずつこの街の「ヒーロー」というものと、彼個人に対する理解を深めていった。こんなに浮世離れしたスタイルの持ち主なのに、簡単にカモフラージュするだけで意外と気付かれないものらしい。同じく彼も、優雅にティーカップを持ち上げつつ、丁寧な口調で少しずつ着実に私のプライベートを暴いていく。
 彼が飲んでいるのはアールグレイ。彼がその茶葉を選んだ瞬間に、やはりあのプリンはいつか食べてもらおう、と私は密かに決意したのだった。誘惑に負けて頼んでしまったレモンタルトを口に運ぶと、爽やかなレモンの香りと中に入っていたフィリングの甘さが絶妙で、思わず「んんー、幸せ」と唸る。ペアリングとしておすすめされたダージリンは一口だけで十分に香りが広がって、はあ、これは本当に美味しい。流石は紅茶専門店だ。

「ふふ、本当に、幸せそうに食べますね」
「…、っ…」

 ケーキと紅茶のクオリティに一瞬この特異な場面設定を忘れてしまったが、彼の一言で現実に引き戻された私は、思わず背筋をぴんと伸ばした。

「いつも丁寧に…魅力的に、お菓子の説明、してくれますもんね。本当に甘いものが好きなのが伝わってきます…いつからあのお店で?」
「ええと…1年くらい前から、あの、友達の紹介で」

 へえ、と相槌をうちながら、バーナビーさんは微笑みを絶やさず、楽しそうに紅茶を揺らしている。なんだろう、この格差は。勿論私だって楽しくないというわけじゃないし、どちらかと言えば楽しい、と思う。彼の気遣いのおかげだろうが、会話も思いのほかスムーズだし、ケーキも紅茶もとんでもなく美味しい。ただ問題は、彼の言動ひとつひとつに揺さぶられ、跳ね回るこの心臓だった。初彼氏との初デートのときでさえここまでではなかったと思うのに、今日はバーナビーさんがお店に来てからというもの、寿命が縮んでしまうんじゃないかと心配になるくらいにどきどきしっぱなしである。

「…ね、ハルさん、もしかして緊張してます?」
「、…すみません、」
「どうして謝るんです?…僕も緊張していますから、貴方も同じだと分かってむしろ嬉しいですよ」

 ああでも、さっきの笑顔はとても無防備で、可愛かったですけど。なんて、そういう言葉をさらりと言えてしまうあたりに、大人の余裕を感じるのだということを、多分彼は解っていないのだろう。やっぱり、慣れているんだろうか、こういう状況に。そう思うと、他意のない言動にさえいとも簡単に熱くなってしまう頬が余計に恥ずかしく思えて、誤魔化すように顔を伏せる。
 こんな状況でどうするのが正解なのか、経験不足の私に分かるはずもない。私の反応を楽しむように黙った彼の視線を感じながら、何を言うこともできず、ケーキを切る振りをして何とかやり過ごそうとするけれど───私の顔は今、自分でも分かる、きっと真っ赤だ。ああもう、安易に彼の誘いにのってしまった数時間前の自分をどうにかしてやりたい。追い討ちをかけるように、くすりと笑った彼に「その照れた顔も可愛いなあ」と呟かれて、これは完璧に遊ばれている、と思う。ますます顔を上げられなくなって、なんだかちょっと負けたような、悔しいような、複雑な気持ちになる。でもそんなのは仕方ない、未熟者の私が、彼に敵うような反撃の術など持ち合わせているはずもないのだから。いつかのための勉強だと思って、今日のところは諦めよう。


20190202
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