なんの変哲も無い平和な昼下がり、カランカランと音をたててお店に入って来たのは、スタイリッシュな赤いジャケットを着込んだ金髪の青年だった。私の働くここシルバーステージの洋菓子店に、この街の人気ヒーローである彼が姿を見せるようになったのは、半年ほど前からである。
 バーナビー・ブルックスJr.といえば、メディアや流行にはとんと疎い私でも知っているような超一級の有名人だ。初めて彼が来店したときの衝撃といったらない。あまりにも現実味がなくて、単なる他人の空似じゃないかと疑う私の横で、ミーハーな後輩が見たこともないほど興奮して目を輝かせていたのを覚えている。髪を束ねてキャスケット帽を被り、色の薄いサングラスをかけた今日のスタイルは、何パターンかある彼の変装のひとつだと思うが、そういえば初来店の時もこんな格好だった気がする。そのときに短い会話を交わして以来、バーナビーさんは、決して頻繁にではないけれど、常連さんと呼べるくらいの頻度でこのお店を訪れている。

「、こんにちは」
「ハルさん、こんにちは」

 にっこりと完璧な笑顔を見せるバーナビーさんからサングラス越しに真っ直ぐな視線を注がれて、心なしか頬が熱くなる。彼はいつもの通りショーケースには目もくれず、私のいるカウンターの方へと近づいて来たので、私はどきまぎしながら視線を下げた。バーナビーさんはお店に来ると決まって私のおすすめを尋ね、勧めた通りのお菓子を買ってくれるので、ショーケースをあまり見ないのだ。彼は街のヒーローらしく、どんな時もとてもフレンドリーに接してくれるのだが、どうにも緊張してしまうのは彼の顔が整いすぎているからだろうか。
 何度か顔を合わせるうちにどうやら彼の方も私の名前を覚えてくれたようだし、私の方もはじめの頃と比べれば彼と他愛のない会話をするのにも多少は慣れた。それでも、生憎、こんなにも端正な顔をした男性に見つめられて平気でいられるような強靭な心臓は持ち合わせていない。私は至って普通の、いやどちらかといえば普通よりも目立たないタイプの、どこにでもいる学生アルバイトなのだ。

「お久しぶりですね、バーナビーさん」
「ええ、お久しぶりです。…今回は特に間が空いてしまいました」
「忙しいんですね」
「まあ、この街はもう少し平和になってくれてもいいとは思いますよ。僕らの仕事が無くならない程度に」
「はは、確かに、ヒーローたちがちゃんと休めるくらいだといいんですけど」

 そんなひと通りの談笑のあと、季節ごとに少しずつ変わるディスプレイの中から、いつも通り、おすすめの一品を紹介しようと私が選んだのは、ロイヤルミルクティーのプリンだった。粉砕したアールグレイの茶葉とティーリキュールを使った生プリンは、カラメルにリキュールを入れるというところに私の案が少しだけ反映された商品でもある。しかし、「今はこのプリンがおすすめで、」と意気込んで話し始めると、申し訳なさそうに眉を下げたバーナビーさんに「すみません、」と遮られ、私は首を傾げた。

「今日はちょっと…その、…お菓子を買いに来たわけじゃないんです」
「…?」
「…珍しく午後の休みを頂けたので、お茶でも一緒にどうかなと思って」

 そろそろ上がる時間でしょう?と、畳み掛ける彼の言葉を脳内で処理するのに時間がかかって、すぐに反応することができなかった。このとき私は我ながら随分と間の抜けた顔をしていたんじゃないかと思う。何故に、私が、ヒーローと、お茶。
 彼のことが嫌いとかそういうわけではない、なんならここ数ヶ月直接的に彼の人柄を知る機会を得て、少なからずファンのような気持ちになっているけれど───それとこれとは話が別だ。正直言って彼と話すのはあまりにも緊張感があって少し苦手なくらいだし、そもそも彼は常連さんのひとりなわけで、仮にもお客さんとふたりきりで出掛けるというのはどうなのだろう、と逡巡してしまう。いや、バーナビーさんの方はきっともっとカジュアルな気持ちなんだろうけど、私にとってはこんなに素敵な男性と、ましてキング・オブ・ヒーローとふたりきりでお茶、なんて一大イベントだ。彼を相手にうまく話せる自信もない。というか、確かに今日のシフトはもうすぐ終わりだけれども、なぜこの人はそれをさも当然のように知っているのだろう。

「…え…っと、…」
「…先約でも?」
「あ、いえ、そういうわけでは、」
「それじゃあ、貴方の時間を少しだけ、僕に頂けませんか?」

 残念ですけどプリンはまたの機会に、と言い添えるのも忘れず、バーナビーさんはどこまでも完成された笑顔を見せる。断られることなど想定してもいない彼の様子に、正直困惑してしまう。店頭でこんなに堂々と誘われて、幸い他のお客さんもいないような時間帯だったけれども、頭の中はいろんな疑問が渦巻いてパニック状態だし、かと言って上手く断れるような言葉も見つからない。いや、今の質問にバカ正直に答えなければ、一応断ることはできたはずなんだけども、パニック状態の私にそんな咄嗟の嘘を吐くのは不可能だった。そうでなくとも忙しいヒーローの貴重な半休を頂くなんて畏れ多いし、シュテルンビルトの平和を願う一市民としてはそんなことで時間を潰してないで、少しでも身体を休めて欲しい。
 黙ったままの私を見つめていたバーナビーさんは、唐突に「ああ、」と納得したような声を出した。何かと思って、無意識に彷徨わせていたらしい視線を彼の方へ向ければ、先程と変わらない綺麗な顔と真剣味を増したエメラルドの瞳に心臓が跳ねる。整った顔をしているというのは、それだけで罪だと思う。しかも多分、いや絶対、彼はそれを自覚した上で、武器として存分に利用しているのだから、その罪は重い。

「…もしかして、恋人がいる、とか?」
「い、いません、そんな…!」

 咄嗟に飛び出た否定の言葉に、「そうですか、良かったです」と極上の笑みを浮かべるバーナビーさんは、実はかなりの策略家なんじゃないだろうか。


20190201
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