熱烈なキスを交わして、暫くして唇を解放すると舌先が透明の糸で繋がっていて、何か酷くいやらしいことをしている気分になった。たかがキス。されどキス。あの日味わえなかったものを今、俺は。

「っい……!」

 そんな感傷に浸るのも束の間、足の甲に走った激痛。思いっ切り踏まれたらしいその痛みに顔が歪む。正直ものすごく痛かったが、俺が彼女を逃がす隙を作るには至らなかった。
 なるほど、蹴り飛ばして逃げることに拘らず、ただ俺を攻撃したいだけなら、距離が詰まっていてもこれでなんら問題ないってわけだ。流石に柔軟な対応である。

「…次キスしたら、その舌噛むわよ」

 僅かに潤んだ瞳が下から俺を睨みつける。随分と強気で凶暴な子猫ちゃんだ。それがまた堪らなくイイんだけど。なんて邪なことを考えながらとりあえず今は、彼女の瞳の奥に見える、微かに浮かされたその熱を簡単に冷まさせてたまるか、と思った。

「……ねえハルさん、好きだよ」
「…っ……」

 柔らかい頬に手を添えて優しく唇をなぞる。もちろん脚はこれ以上動かせないよう、さっきよりも強く絡めた。ハルさんが俺の胸を押し返すけれど、そんな抵抗何の役にも立ちやしない。今日はもう、逃がさないと決めたんだ。
 先に惚れた方が負けだってんなら最初から完敗で構わない、そのかわり負け犬にだけはなりたくない。どうしても、彼女を手に入れたい。

「…そんな顔して、ずりィよ」

 そんな熱っぽい顔をしておいて、どうして俺を拒むのか。そんな顔されて、期待しない訳がない。引き下がれって方が無理な話だ。俺が納得できるような理由があるなら知りたかったし、俺には、どんな理由でだって納得してやらない自信があった。
 
「…私、余裕がない男は嫌いなの」
「なくさせたのはハルさんだろ」
「…、目移りする男も嫌い」
「覚えがねえな」
「……口が上手い男も嫌い」
「俺は、惚れた女一人口説き落とせないような男だぜ」

 そこまで言ったところでハルさんは、何かを考えるように俯いた。視線を彷徨わせている彼女に俺は焦れる心を抑えつける。ここで焦ったら、全てが駄目になってしまう気がしたからだ。長年の経験がそう告げている。
 必死の思いで待っていると、少しして彼女の顔が上がった。ほんの僅かに震えた唇と、俺を見上げる綺麗な瞳にどうにもクラクラしてしまう。この角度はどうにも良くないと思う。

「……ねえ、…本気?」
「もちろん」

 先ほどより幾分弱まった語勢に迷いなく答えると、やはり彼女の瞳は狼狽えるような色を見せた。そうしてまた少しの間沈黙が降り、濡れた視線が一度横へ逸らされてから、もう一度俺を捉える。彼女は、「止まれなくなりそうで、怖い」と、聞き取るのがやっとのほどか細い声で呟いた。
 ああ、きっとこれが彼女の本音なのだろう。彼女はその可愛さで俺を殺す気なのだろうかと、この時俺は本気でそう考えた。―――だって、今にも心臓が、止まりそうだ。


With love one can live even without happiness.
20120209
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