蛍光灯に透ける、色素の薄い髪が柔らかそうだなあ、と思った。そしてその前髪の下、閉じられた目蓋の先の長い睫毛が綺麗だった。このあどけない寝顔を独り占めしてしまいたかった。だから、なのかもしれない。そんなことを考えていたから、思わず、キスしてしまった。 「……ハル…?」 閉ざされていた瞼が薄っすらと開き、透き通るような薄紫の瞳に見つめられて、かぁっと顔が熱くなる。ああ、まずい。これはまずい。きっと、いや絶対まずい。 「…っ…」 「……ハル、…」 反射的に逃げ出そうとした私の腕を、イワンが素早く掴む。いつもは寝起きにそんな俊敏な動きできないくせに、それはやんわりと、けれど存外強い力で私の動きを止めた。ああ、だめだ、後悔先に立たず、覆水盆に返らず。 思わずごめん、違う、と零すけれど、顔を逸らして謝罪や否定の言葉を口にしたってそんなのきっと何の意味もないどころか逆効果なんだろう。そうしている間にじりじりと感じる彼の視線。逃げ出したい。今すぐ彼の前から消えてしまいたい。 「…何が、ごめんなの。何が、違うの」 「…っや、……ごめ、」 「……だから、どうして謝るの」 いつも私を追い詰めるようなことを絶対に言わないイワンが、強い瞳で私を射抜く。私は瞳に溜まった羞恥の涙を零さないように必死だったけれど、今回ばかりはイワンも逃がしてくれるつもりは微塵もないようだった。 幼馴染というのは便利な言葉だ。小さい頃から付き合いがあって、何の理由も必要とせずその付き合いが続くのだ。例えばひとりがヒーローになったとしても、幼馴染ならそのヒーローの家に入り浸ることが出来るし、忙しいヒーローの貴重なプライベートの時間を一緒に過ごすことができる。 幼馴染は心地よかった。恋人のように、別れるという概念がない。喧嘩をしても今の関係が壊れる心配をしなくていい。恋人は、違う。些細な食い違いが別離に繋がり、一生それまでと同じ関係を取り戻すことが出来なくなることもある。そんなことになるなら、居心地のいい今の関係のままがいいと、私は思う。 「……ハルの考えてることは、前と変わらないんだろうけど…あれから僕なりに考えてたことがある」 少し前に、イワンに付き合おうと言われたことがあった。あのイワンが、どれだけの勇気でそう言ってくれたのかなんとなく想像はついたけれど、私が理由も含めて今までのままがいいと言うと彼は存外あっさり分かったと言って、その後も態度を変えずに接してくれた。 そのイワンに自分からキスなんかして、本当に私は何をやっているんだろう。最低だ。イワンが怒るのも当然の話じゃないか。 「……ごめん、…」 「…いいから、聞いて。それで、僕の勘違いならすぐ言って」 そう前置きしたイワンに気圧されるように頷くと、彼は少し微笑ってからすっと息を吸って、唐突に、掴んでいた私の腕を引っ張った。当然私の身体はイワンの方へと倒れ込み、抱き留められて、捕まる。 「…ハルは、僕と別れるのが嫌なんだよね。別れて、一緒にいられなくなるのが嫌なんだ」 「……うん」 「だったら、別れなければいい」 …喧嘩しても、悩んでも、時間をかけて二人で解決していけばいいんだ。僕らの喧嘩なんてどうせ二日と続かないし、別れるなんてあり得ない。僕がそうさせない。大体、幼馴染のままでいて、いつか別々の人と結婚することになったら、それこそ一緒にいられないんだよ。わかるでしょ? イワンの言葉とその強い意志に息を飲んだ瞬間、そっと頬を包まれて、促されるままに顔を上げた。髪先が触れるくらい近くに見慣れた綺麗な顔があって、私はまた息を飲んだ。 ハルが好きだよ、と、聞き慣れた声が、知らない男の人の声のように鼓膜を揺らす。一緒にいよう、とまた彼が言って、私はどうにも泣きそうだった。どうしてこんなに強くて優しい人が、私と一緒にいたいと言ってくれるんだろう。 「ハル…嫌なら、殴っていいよ」 「…そん、なの…、」 「できない?……ねえ、できないなら…嫌じゃないなら、このまま、キス…しちゃうよ?」 普段は気弱で優しいくせに、肝心なときにそんな強引で男くさいところをみせるから、ずるい。ああ、その薄紫に殺されてしまいそうだ。───ねえイワン、知ってると思うけど、私ね。 「…、…すき…」 「っ……」 「すき…、イワン…っ…」 「うん、…僕も好きだ」 You are just a man. 20130825 |