背後に感じるひんやりとした壁と、両脇につかれた逞しい腕、そして目の前にいる銀色の彼。逃げ道を完全に塞がれて、その危機感に目が泳ぐ。彼が立派な男であることを認識せざるをえない状況だった。
「はは、焦っちゃって…かぁいいな、なまえチャン」
「、銀…さん」
へらへらと口元には笑みを浮かべているのに、真っ赤な瞳で射抜くように私を見つめてくる銀さん。いたたまれなくなって顔ごと目を逸らしても、視線を感じる頬がほんのりと熱い。
一体どうしてこんなことになったのだろう。私はただ、酔いの回った銀さんを介抱していただけなのに。こんなことにはならないように、多少なりとも気をつけていたはずなのに。
「…なあ」
「……はい」
「こっち、向いとけ」
「や、あの、…」
ゆっくりと顔を近づけてくる銀さんからは脳を刺激する酒精の匂い。そんな銀さんの呼気を生々しく吸い込んで目眩すら感じてしまう。ぎゅっと否定するように目を閉じても、近くで香る酒精に酔ってしまいそうだ。
分かっていた。素直に認めてしまうなら、私は結局のところこのフラフラとした男が好きだった。芯がないようでいて、しなやかな筋の通ったこの男だけが、私の心を揺さぶるのだと気づいていた。けれど自分がもう色恋に振り回される歳でもないことも十分承知の上なのだ。この感情を認めてしまったら、形振り構わず溺れてしまうことは明白だった。
「なあ…向かねえなら、イヤでも向かせちゃうけど?」
銀さんの声がいやに近くで聞こえた、それと同時に首に生暖かく濡れた何かが這っていく。それが彼の舌だと認識して、私は咄嗟に銀色の頭を押し返した。
「…何して…っ、ん、っ」
そのまま文句を言おうとした口は酒精臭い銀さんのそれに塞がれて、私はまた強く目を閉じた。震える手で彼の胸を押し返そうとしても結局その手は弱々しく着物を掴んだだけで、何の抵抗にもなりはしない。
頭の後ろへやられた彼の手がぐっと顔を引き寄せ、口付けが深くなる度くしゃりと髪が乱れる。私の咥内を舐め尽くしていく彼の舌が熱かった。送り込まれる唾液を嚥下すれば、何か身体の芯から痺れるような感覚に襲われる。
「ん…っ…ふ、」
「……は、っ」
先程舐められた首筋が、熱くなる身体とは反対に夜の空気に冷えていくのが生々しい。
そうしてどれくらいの間唇を合わせていたのか、酸素不足に脳がぼうっとし始めたところで銀さんは名残惜しそうに顔を離した。唾液が伝っていたのだろう、口の端を舐められるとぴくりと肩が揺れる。
「っ…、…銀さ、ん…」
言葉を探しながら先程よりも強く力を込めてその厚い胸板を押し返すと、今度はあっさりとそこに空間が生まれた。
見上げた先、微かに熱を帯びた視線が前髪の隙間から真っ直ぐに私を捉えて離さない。私の言葉を待つような、そのあまりにも真剣な表情に息を飲む。彼の酔いが醒めてることなんて一目瞭然で、それなら今、私が言うべきことはたったひとつで。
「…好き…、銀さん」
「…ったく…、…先に言うなよ、」
柔らかく笑う銀さんに心臓がきゅうと音を立てた。
灰かぶりの理想郷
20110711